2017-01-29

腐敗した怒り


 正に言い得て妙。腐敗した怒りは内部を蝕み、捻(ねじ)れた潰瘍(かいよう)となる。時折しくしくと痛みだしては過去の怒りが甦(よみがえ)る。この繰り返しが確固としたパターンを形成し、自分自身が変化する可能性の芽を摘(つ)んでしまう。個人折伏で行き詰まっているメンバーによく見られる傾向だ。また創価学会系の掲示板が悪臭を放っているのも社会や組織におけるルサンチマン(劣情の正当化)を発散しているためである。世界各地で行われてきた男子の民族的元服が、身体的な痛みを伴うイニシエーション(通過儀礼)であったのも、過去の劣情を一掃して「大人」へと変貌させることを目的としたのだろう。また台湾原住民(※差別用語ではない。「先住民」とは滅んでしまった民族を意味するため)の男性には昭和初期の頃まで出草(しゅっそう/首刈り)という風習があった。これまた勇気を示すことで弱さを克服する営みである。例えば、いじめに対する極端な解決法としては「許す」か「殺す」しかない。この間に無限のグラデーションが色なすわけだが、真ん中よりも「殺す」に感情が位置すると「腐敗した怒り」に囚(とら)われる。いじめの真の被害はここにある。ルサンチマンを解き放つ方法が一つだけある。簡単なようで難しいのだがやってみれば直ぐにわかる。それは自分が幸せになることだ。幸せになれば過去の全ては美化することができる。他宗を批判し、他人の悪口を言う創価学会員の行為は、それ自体が不幸を物語っている。