2015-05-30

【ノーベル平和賞】 本当の見識とは ? (武田邦彦)



武田教授の眠れない講義 「正しい」とは何か?

遠藤文書にみる長谷川重夫(次期理事長候補)という人物について

裏切りの実態 54年が発端となった側近の面々の裏切りの実態

 首脳部の迷走ぶりが露呈している。以前は「P」(プレジデント)だった略称が最近は「CP」となっている。これ、何の略なのかね? 「遠藤文書には今の執行部の体質が如実にあらわれているが、かねてよりこうした実態はあった。丹治正弘が編集総局を支配しようとしていた折にも、報道部の相島が長谷川に相談したが、『私はね彼を信頼しているんだよ』と門前払い」との記述が目を惹く。

 上記ブログタイトルのような文書が飛び交っているが、これも鵜呑みにすべきではない。新手の「池田史観」ともいう代物で、宗教性・哲学性に鑑みた「正当性」ではなく、単なる王朝主義的「正統性」を巡るプロパガンダとなっていることに留意する必要があろう。

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逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)世界が語る大東亜戦争と東京裁判―アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦 (自由社ブックレット)

英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄(祥伝社新書)右であれ左であれ、わが祖国日本 (PHP新書)日本人の誇り (文春新書)江戸へようこそ (ちくま文庫)

ヤノマミ (新潮文庫)大君の通貨―幕末「円ドル」戦争 (文春文庫)兵法 孫子 戦わずして勝つ (PHP文庫)太陽と地球のふしぎな関係―絶対君主と無力なしもべ (ブルーバックス)

2015-05-24

創価学会員が池田先生から頂いたお菓子

 かっぱ君のタイムラインで見つけた。大笑い。5・3は「誤算」と読んでよさそう。

夏の桀王の龍蓬が頚を切りしがごとく

「関龍逢」(かんりゅうほう)という名前にかすかな記憶があった。日蓮遺文で二度出てくる。因みに真蹟では「龍蓬」、創価学会版だと「竜蓬」(4ヶ所)との表記になっている。『天空の舟 小説・伊尹伝』は宮城谷昌光のメジャーデビュー作。弓を引き絞るような苦しい時期を経て、これ以降輝かしい作家人生が花開く。本書は伊尹(いいん)が主人公であるが、夏の王の物語でもある。酒池肉林で知られる殷(いん)の紂王(ちゅうおう)と並び立てられる悪王だ。紀元前17世紀頃の話である。日蓮はこうした中国の歴史を何から学んだのだろう? 『史記』や『竹書紀年』はたまた『荘子』あたりか。尚、三顧の礼は『三国志』で有名だが、実は湯王(とうおう)が伊尹のもとを訪れたのが嚆矢(こうし)である。日寛の『開目抄上愚記本』にも「『或は師とたのみ』とは、文王の太公望を得、湯王の伊尹を尋ねしが如し」とある。

天空の舟―小説・伊尹伝〈上〉 (文春文庫)天空の舟―小説・伊尹伝〈下〉 (文春文庫)

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ニューステージ世界史詳覧ウォール街のランダム・ウォーカー <原著第10版>―株式投資の不滅の真理

お江戸でござる (新潮文庫)クリスマスに少女は還る (創元推理文庫)吊るされた女 (創元推理文庫)

父親嫌いの女子高生の対する岡田斗司夫さんの回答がすごい

 @taka0316y7さんのツイートで知った。tumblrも埋め込みできるとはね。

2015-05-18

聖人理を観じて万物に名を付くる時

 至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時因果倶時不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す(「当体義抄」真蹟なし)

「聖人作(おこ)りて万物を覩(み)る」(易経)と「万物ここに作(おこ)るも而(しか)も辞(ことば)せず」(道徳経)あたりからの剽窃(ひょうせつ)と考えられる。尚、易経の文に関しては「覩(あらは)る」とする読み方もあるようだ。

2015-05-17

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〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告「声」の秘密科学哲学 (文庫クセジュ)

マネーの進化史バーニング・ワイヤーまんが 孫子の兵法まんが 兵法三十六計

破傷風の恐ろしさ

 幼い子を持つ親は必見のこと。破傷風の死亡率は50%。千葉県に多いと聞いたことがある。


あの頃映画 「震える舌」 [DVD]震える舌 (講談社文芸文庫)

2015-05-15

都構想で劣勢の橋下徹が創価学会取り込み逆転へ!? 菅官房長官の仲介で学会幹部と談合

 両者は政権への対応でも差があり、関西の正木=池田ラインが平和憲法堅持という傾向が強いのに対して、東日本の谷川=佐藤ラインは完全に安倍政権に擦り寄りを見せている。とくに佐藤副会長は菅義偉官房長官とべったりで、集団的自衛権をめぐっても容認の方向で組織のとりまとめに動いたといわれている。

リテラ 2015-05-13

 佐藤浩の名前がよく取り沙汰される。聖教新聞にも掲載されなくなった彼を再び選挙実務の責任者に登用したのは秋谷であった。

動いたのは最近、永田町でその名を知られるようになった創価学会副会長(広宣局長)佐藤浩だった

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他者が他者であること (文春文庫)【文庫】 「長生き」が地球を滅ぼす 現代人の時間とエネルギー (文芸社文庫 も 3-1)宗教VS.国家 (講談社現代新書)生命誕生 地球史から読み解く新しい生命像 (講談社現代新書)

インフレーション宇宙論―ビッグバンの前に何が起こったのか (ブルーバックス)漢字雑談 (講談社現代新書)休戦 (岩波文庫)神を見た犬 (光文社古典新訳文庫)

月と篝火 (岩波文庫)川は静かに流れ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

2015-05-05

龍ノ口法難~本間重連邸

 現在の道路であっても5時間弱の歩行距離となっている。本間邸については諸説あるが妙純寺と仮定した。(地図が見づらい場合はドラッグせよ。左上窓の「その他のオプション」をクリックすると拡大表示)


 今まで確認したこともなかったのだが、厚木市という地名を知ると少し実体を伴った風景が迫ってくる。

上依知本間屋敷、本間氏下屋敷(※妙伝寺)
中依知本間屋敷(※蓮生寺)
本間屋敷(※妙純寺)

 検索したところ道順に関する記述を見つけた。

日蓮の佐渡配流の神奈川県における道順

 質問者が書いてある通り、確かに「相模川の渡り方」が気になる。たぶん橋はなかったことだろう。「源頼朝が……浮橋(川に舟や筏を並べて浮かし、その上に板を敷いて人や馬等を渡らせた仮の橋)を架けた」(源頼朝と相模川)ようだが、場所は茅ヶ崎付近と推定されている。渡し船の出た場所が本間邸よりも北側であれば、座間の円教寺に立ち寄った可能性はあるだろう。「休息山」という山号が泣かせる。

本間氏

 何と「武蔵七党横山氏流」とある。横山党は八王子だ。

 鎌倉中期の佐渡守護代であった本間六郎左衛門重連の邸は相模国依智にあって、年に一度佐渡に渡っていたようである。僧日蓮が佐渡へ配流された際、これを預ったのも重連であった。そのことは日蓮遺文によって明らかだが、重連については日蓮遺文以外には史料がなく、本間系図の記すところも一様ではない。(上記ページより)

佐渡守護所跡と本間重連館跡

 本間の名は相模国愛甲郡依知(依智)郷本間の地に由来。この地に建久年間に本間五郎資俊、文永年間には本間六郎重連、正慶年間には本間資貞および資忠が住んでいたことが知られている。資貞および資忠は赤坂城の攻防戦で討死している。
 本間氏は能久入道の代に佐渡守護代を北條大仏氏のもとで務めたことで佐渡への足がかりを掴んでいる。
 ちなみに、日蓮上人を佐渡配流の際に預かったのは本間重連、直重兄弟である。現在の建徳寺、蓮生寺そして梅香寺の辺り一帯が本間重連の居館跡であると比定されている。重連の子孫は武蔵国葛飾郡彦成村に代々住んだというが、その間に重連の居館が3つあったとの伝承が伝えられているという。

本間氏_武蔵七党_横山党_海老名氏流

 東京から大石寺登山に向かうバスが途中で立ち寄るのが海老名インターチェンジであった。人の名前だったとはね。