2014-06-30

集団的自衛権を巡る公明党報道について

 公明党の一挙手一投足が日々報じられている。これほど注目が集まったことはちょっと記憶にない。私は二つの要素があると考える。一つは最後の平和の砦として踏ん張ってほしいという期待感である。そしてもう一つは「お前ら創価学会員が折伏する時に散々語ってきた世界平和って何だったんだ?」というクエスチョンである。この二つが同時に突きつけられている。

 宗教政党としての真価を発揮するなら、潔く連立離脱に舵を切ればよい。野党になったとしても政策ごとに是々非々で自民党に協力することは可能だろう。

 ところが飯島勲参与が政教分離規定の見直しに言及し、「政界の裏側では『もし、公明党が集団的自衛権に反対したら、アメリカが創価学会をカルト認定するらしい』という情報が流れはじめた」(日刊ゲンダイ)。そして矢野絢也を追い出した今、税務調査が入るようなことになれば対応できる人物が創価学会にはいない。

 というわけで公明党としては保守的な対応となることは避けようがない。そう。真の保守になったのだよ(笑)。

2014-06-28

山口代表「私が辞めればいいんだろ…」 与党協議決着の裏に公明の作戦ミス

松葉ヶ谷草庵跡

 松葉ヶ谷草庵の場所は確定していない。

 妙法寺(日蓮在住19年の旧跡で、日蓮宗最初の寺)、長勝寺(日蓮の庵室跡で、日朗、日印、日静が住居とし、本圀寺の前身となった寺)、安国論寺(立正安国論を著した岩窟がある寺)の三寺である。江戸時代の安永年間(1772年 - 1780年)頃、妙法寺と長勝寺の間で松葉ヶ谷法難の旧跡を巡って論争が起こり、20年以上争われたが、結論が出なかったといい、正式な跡地は確認されていない。建て直しや、流罪の前後で移転があったとも考えられている。(Wikipedia

松葉ヶ谷法難~鎌倉と日蓮~

 やり方がよくわからなかったのだが、地図を作成してみた。


 縮小表示&地図ドラッグをしてもらうと、ほぼ真上に鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)が見える。草庵跡がいずれの場所であったにせよ、日蓮が八幡を叱責したのは下馬の交差点あたりだろう。(県道311号と県道21号〈若宮大路〉の交差点)


 ここから鶴岡八幡宮に向かっては馬での侵入が禁じられていたことから「下馬」との地名がついている。

下馬~鎌倉の遺跡~

「なお、文永八年(1271)九月十二日に日蓮上人が名越の小庵から竜の口の刑場に送られる途中、鶴岡八幡宮に向かって『八幡大菩薩は神として法門のため、霊験を顕したまえ』と大声をあげて祈ったのは下馬橋の付近と伝えられている」(下馬)。ホラ、当たった(笑)。

 で、安国論寺から龍ノ口刑場跡といわれる龍口寺までのルートを記すと以下のようになる。


 日蓮が連行されたのは9月13日子丑の刻(午前2時前後)と伝えられている。上のルートは山道になるので、やはり海側を辿ったと考えるのが妥当だろう。

 もしも地図表示が上手くいっていなかったら自分で検索してくれ給え。

「先輩からの手紙」に思うこと 6

先輩からの手紙
「先輩からの手紙」に思うこと 1
「先輩からの手紙」に思うこと 2
「先輩からの手紙」に思うこと 3
「先輩からの手紙」に思うこと 4
「先輩からの手紙」に思うこと 5
・「先輩からの手紙」に思うこと 6
「先輩からの手紙」に思うこと 7
「先輩からの手紙」に思うこと 8
「先輩からの手紙」に思うこと 9
「先輩からの手紙」に思うこと 10

「原始仏教及び仏教思想史全般を再検討して評価し直すとしたらどのように位置づけられるのか」(先輩からの手紙 5)というテーマで日本仏教はいまだ混乱の域を脱していない。やはり鎌倉時代の教祖へのこだわりを払拭できないのであろう。私の場合はクリシュナムルティを通してブッダの初期経典が読めるようになったので迷うことはなかった。

 教相判釈という天台ルールがあり、これに比叡山の密教エートスが加わることで鎌倉仏教は成立している。文脈やルールが異なるものを同列に論じても意味はないだろう。柔道と柔術は別物だし、テコンドー(松濤館空手から派生)と空手も異なる。日本の仏教界は鎌倉仏教に固執するあまり、大乗非仏説を軽んじてきた経緯がある。

 科学的・歴史的アプローチを欠いてきたツケが強い圧力となって日本仏教界にのしかかっている。佐々木閑〈ささき・しずか〉が「大乗仏教は、部派仏教の延長線上に現れた、出家者僧団の宗教であった」(『インド仏教変移論 なぜ仏教は多様化したのか』大蔵出版、2000年)と指摘しているが、いずれにせよ仏法にプラグマティズムの混入を認めるかどうかという問題であろう。

 もともと私は無名(=無署名)の小ブッダが次々と登場することで仏教思想が復興・発展したと考えてきたが、歴史の実態を見ると教団同士の抗争的色彩が強い。特に密教要素を取り入れた事実が重要で、これを私は仏教によるヒンドゥー教回帰と判断している。つまり「大衆受けする物語の創作」が仏教史の本質であるように思われてならない。

 日蓮にしても鎌倉時代という情報制約を避けることはできなかった。であればブッダに還ればいいだけのことだろう。どんなに頑張ったところで大乗思想がブッダを凌駕することはないのだから。

「裸の王様なのに、組織のシンボルとして担いでいる手前、誰もそれを指摘しない。影に回ればいろいろ言っていても、皆で虚構を作り上げていく。そして神話化し、集団として危ない橋を渡りだす」(先輩からの手紙 6)という部分については、原島嵩〈はらしま・たかし〉の『誰も書かなかった池田大作・創価学会の真実』に具体的な話が書かれている。

誰も書かなかった池田大作・創価学会の真実
原島 嵩
日新報道
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2014-06-25

サントリー:ローソン新浪氏が社長へ、創業家以外で初めて

ブルームバーグ 2014-06-24

 株式会社や議席は相続税対策として子に受け継がれる。世界中の企業の大半が同族経営であり、二世議員が多いのはこのためだ。ユダヤ系資本が典型的である。ロスチャイルド家は財産流出を阻止する目的で従姉妹としか結婚させない。

2014-06-23

自民党都議はクズだらけ

2014-06-21

集団の罠と虚偽の記憶





『Girl Rising ~私が決める、私の未来~』予告編


映画「Girl Rising ~私が決める、私の未来~」2/2より各地で順次上映中!|Because I am a Girl 世界の女の子たちに、生きていく力を 国際NGOプラン・ジャパン

2014-06-20

自民党都議連の汚い野次



いまや「意思表示もできない」創価学会・池田名誉会長! 公明党「集団的自衛権」容認にストップかけられず

J-CASTテレビウォッチ

2014-06-18

第三代会長の指名はなかった

(大講堂落成大法要。後に「広宣流布の模擬試験」あるいは「3.16」と称される)この儀式の後、先生の体がいよいよ衰弱されたため、原島宏治、小泉隆、辻武寿、柏原ヤス、馬場勝種ら理事たちと、池田・北条・森田・龍の4参謀が揃って戸田先生の枕元に行き、遺言を聞こうということになった。音頭を取ったのは辻、原島、小泉らで、この際はっきり池田を三代会長に指名してもらおうというハラづもりだったようだ。
 辻は「大久保彦左衛門」と渾名(あだな)され、どんな場面でも物怖(ものお)じせずにズバッと物を言う男だった。この時も、病の先生の枕辺(まくらべ)で、当然のような顔をして、「先生、三代会長は誰にするんですか」と単刀直入に尋ねた。ところが先生は、はっきりした声で「それは、お前達が決めるんだ」と答えられた。
 当然、「池田」という返事が返ってくると期待していた辻は驚き、もう一度同じことを聞いたが、返事は同じであった。(龍年光『池田創価学会を解散させよ』)

池田大作の実像:法蔵

 これは初耳だ。

日蓮正宗の敵 池田創価学会を解散させよ

創価学会の知られざる歴史「池石戦争」

中国大使、母校・創価大で講演のナゾ 公明党へのメッセージか?

ZAKZAK

2014-06-17

公明党が震え上がったエゲツない脅し

戸田城聖の女性関係

 夕張郡真谷地尋常小学校に奉職中には、複数の女性と恋愛し、「恋にもつれ、恋に狂いて、最も神聖なる教職を汚」(戸田『若き日の手記・獄中記』S45)した結果、その清算のために退職しなければならなかった。また戦前には三角関係を経験し(小口偉一編『新心理学講座 第4 宗教と信仰の心理学』)、当時も、戦前、彼の経営する会社の会計役であり、会員でもあった森重紀美子との関係をつづけ、彼女との間には子まであったようだ。森重は創価学会幹部間で公認されていた戸田の二号である(由比宏道『毒鼓の縁 破日蓮正宗創価学会』)。(溝口敦著『池田大作 「権力者」の構造』)

『若き日の手記・獄中記』は昭和45年に遺族が刊行(溝口敦著『池田大作「権力者」の構造』71頁)

戸田城聖の実像:法蔵

 小説『人間革命』の嘘が明らかだ。「池田さんは妾と私を同じ席に並べた」とは戸田夫人の言である。昭和から平成にかけての記念式典では牧口家・戸田家とともに必ず森重家が紹介されていた。子供は後に外郭企業の社長になったと私は聞いている。

なぜこれほど公明党はダメになってしまったのか

 そこには、公明党議員の変質ということも関係している。現在の公明党の議員は、太田昭宏氏を除いて、創価学会のなかで宗教活動を展開した経験をほとんどもっていない。学会員の家庭に生まれ、幼いときは活動をしていたかもしれないが、大人になってからは、弁護士や一般紙の新聞記者、あるいは『公明新聞』の記者などをしていて、学会活動はしていない。創価学会の特徴的な布教活動、「折伏」など、おそらく議員たちはしたことがないだろう。

 かつての創価学会員は、議員を含め、折伏によって鍛えられ、それで戦う力を身につけてきた。それが今の議員にはない。しかも、創価学会という強力な支持母体があり、選挙活動はみな学会員が担ってくれるので、自前で後援会を作るなど、支持者を広げる活動もしてない。公明党の議員は、まるでおぼっちゃんであり、お嬢ちゃんなのだ。戦う力は、他党の議員と比べてもはるかに劣る。

2014-06-16

小室直樹博士記念シンポジウム

 予想以上に面白かった。


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牧口常三郎と堀米泰栄

(昭和18年)牧口氏は所属寺院の歓喜寮主管堀米泰栄師と議論し、「もう貴僧の指導は受けない」と席を蹴(け)って退去し、本山宿坊理境坊住職の落合慈仁師とも別れ、牧口氏に率(ひき)いられる創価教育学会は茲(ここ)で日蓮正宗と縁が切れ、後に戸田氏が宗門に帰参してからも、学会は寺院を離れた独自の路線をとることになった(『畑毛日記』)

僧侶軽視、血脈軽視の独善体質:法蔵

 堀米泰栄は後の日淳。『畑毛日記』とは「直達講(講頭・三谷素啓氏、牧口氏も同講に所属していた)の副講頭であった竹尾清澄氏の著作」とのこと(『畑毛日記』)。知られざる歴史が次々と明るみに出る。

組織の論理

2014-06-13

「首相が横暴」ぼやく公明=連立離脱否定で足元見られる-集団的自衛権

時事ドットコム

 創価学会が最も恐れるのは税務調査であり、公明党が与党に固執する目的もそこにある。致命的なのは既に矢野絢也のようなネゴシエーター(交渉人)がいないことだ。前回の調査の折は竹下首相の鶴の一声で捜査の手が緩められた。その後、公明党・創価学会はあっさりと竹下を裏切った。恩を忘れ、礼を失う者は必ず滅ぶ。

2014-06-09

自民党と創価学会

 集団的自衛権の閉塞状況を打開するには安倍首相と原田会長のトップ会談をいち早く行うべきだ。それも出来るだけ大っぴらにやるのが望ましい。マーケット関係者からもそうした要望が漏れ聞こえる。北朝鮮から拉致被害者が全員戻ってくれば安倍首相は解散に舵を切る。

小林秀雄と池田大作

 小林秀雄と池田が会ったのは1971年(昭和46年)4月8日のこと。記憶が定かでなかったため検索したところ以下のページを見つけた。

池田教の塔婆供養?

 元情報は「やまちゃんのわが友に贈る: 慧光照無量 寿命無数劫 祈る - 名字の言」のようだ。2007年3月7日付聖教新聞に小林の記事(「名字の言」2007年4月1日)があるようだが見つからず。

 小林秀雄里見トン中村光夫とは錚々(そうそう)たる顔ぶれだ。確か小林から大石寺の桜を見たいとの連絡があり、急遽池田が案内したものであった。

 里見トンの親戚に当たる学会員とは有島重武だろう。

与謝野家と有島家に関する系図

 他にこんなページも発見した。

伊丹十三「最終楽章」(『ヨーロッパ退屈日記』)に出てくる放浪のピアノ弾きってこの人じゃないだろうか?

 失敗したな。有島さんの存命中に直接聞いておけばよかった。

 小林は後に池田の印象をこう語っている。

小林●新聞が公明党と共産党との握手というような事を言っているな。池田大作さんとは面識があるが、あの人には政治家肌という所があるな。天理教の中山正善さんも知っているが、あの人とは違った感じだな。中山みきという人は宗教家として天才だと思っているが、その血を受けた感じがしたな。

【『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』小林秀雄(新潮社、2004年)】

 この部分については新刊の『直観を磨くもの 小林秀雄対話集』にも収められている。小林はとにかく遠慮を知らぬ男で、酔っ払って正宗白鳥に絡んだり、対談で柳田國男を泣かせたりしている。たとえ相手が牧口や戸田であったとしても物怖じすることはなかったことだろう。年齢的には戸田より2歳若い。

 果たして小林は大石寺の桜をどのように見たことだろう。その手掛かりをひとつ示しておこう。

 諸君はこのごろ染井吉野という種類の桜しか見ていないから、桜は花が先に咲いて、あとから緑の葉っぱが出ると思っているでしょう。あれは桜でも一番低級な桜なのです。今日の日本の桜の80パーセントは染井吉野だそうです。これは明治になってから広まった桜の新種なので、なぜああいう種類がはやったかというと、最も植木屋が育てやすかったからだそうで、植木屋を後援したのが文部省だった。小学校の校庭にはどこにも桜がありますが、まあ、あれは文部省と植木屋が結託して植えたようなもので、だから小学校の生徒はみなああいう俗悪な花が桜だと教えられて了(しま)うわけだ。

【『学生との対話』小林秀雄:国民文化研究会・新潮社編(新潮社、2014年)】

 小林秀雄は美に対して一切の妥協を許さなかった人物だ。文学や美術だけではなく科学においても鋭い知見を示した。1948年(昭和23年)に湯川秀樹と対談しているが、この当時において量子物理学を正しく把握していた。

  

2014-06-07

スマートメーター


 信仰満足度のスマートメーターができると面白い。決して正しさを証明するものではないが。

やらせとステマ

2014-06-06

集団的自衛権の是非問う解散総選挙



 北朝鮮による拉致被害者全員の帰国が見えた段階で解散総選挙は現実的なものとなろう。臨時国会冒頭での解散が囁かれている。

2014-06-04

野中氏、創価学会批判のワケ

2014-06-03

永遠の指導者


 永遠の指導者は「神」の異名である。仏教に永遠という概念はない。

2014-06-02

小樽問答

 ウェブ上には何でもあるね(笑)。創価学会がこの音源を公にしていないことの意味をよく考えるべきだ。池田の挨拶は明らかに司会の役目から逸脱している。


仏教と批判的合理主義:「小樽問答」の勝敗

2014-06-01

戸田城聖質問会


 最初の質問については以前テープ起こしを紹介した→「供養の精神」。創価学会が創立60周年の際、1000万円以上の財務を行った会員には戸田城聖のCD全集(20枚組)が贈呈された。

ブログで読める戸田城聖全集 第二巻 質問会編
戸田城聖先生
七つの鐘(音声)