2014-06-28

松葉ヶ谷草庵跡

 松葉ヶ谷草庵の場所は確定していない。

 妙法寺(日蓮在住19年の旧跡で、日蓮宗最初の寺)、長勝寺(日蓮の庵室跡で、日朗、日印、日静が住居とし、本圀寺の前身となった寺)、安国論寺(立正安国論を著した岩窟がある寺)の三寺である。江戸時代の安永年間(1772年 - 1780年)頃、妙法寺と長勝寺の間で松葉ヶ谷法難の旧跡を巡って論争が起こり、20年以上争われたが、結論が出なかったといい、正式な跡地は確認されていない。建て直しや、流罪の前後で移転があったとも考えられている。(Wikipedia

松葉ヶ谷法難~鎌倉と日蓮~

 やり方がよくわからなかったのだが、地図を作成してみた。


 縮小表示&地図ドラッグをしてもらうと、ほぼ真上に鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)が見える。草庵跡がいずれの場所であったにせよ、日蓮が八幡を叱責したのは下馬の交差点あたりだろう。(県道311号と県道21号〈若宮大路〉の交差点)


 ここから鶴岡八幡宮に向かっては馬での侵入が禁じられていたことから「下馬」との地名がついている。

下馬~鎌倉の遺跡~

「なお、文永八年(1271)九月十二日に日蓮上人が名越の小庵から竜の口の刑場に送られる途中、鶴岡八幡宮に向かって『八幡大菩薩は神として法門のため、霊験を顕したまえ』と大声をあげて祈ったのは下馬橋の付近と伝えられている」(下馬)。ホラ、当たった(笑)。

 で、安国論寺から龍ノ口刑場跡といわれる龍口寺までのルートを記すと以下のようになる。


 日蓮が連行されたのは9月13日子丑の刻(午前2時前後)と伝えられている。上のルートは山道になるので、やはり海側を辿ったと考えるのが妥当だろう。

 もしも地図表示が上手くいっていなかったら自分で検索してくれ給え。