2014-03-06

「先輩からの手紙」に思うこと 1

先輩からの手紙
・「先輩からの手紙」に思うこと 1
「先輩からの手紙」に思うこと 2
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「先輩からの手紙」に思うこと 10

 思うように時間が取れない。貧乏暇なしである。矢野絢也の著作についても書きたいのだが、既に1年以上も経過したままだ。誰か書いてくれないかな? そうしたら私が応じるから。ただし私と同世代でなければ矢野本を理解することは困難だ。関西で矢野にストーカー行為をした人物が書いてくれると一番助かるのだが。(※当ブログでは一般人を除いてすべて敬称は省略する)

「忙しい忙しい」といって心を亡ぼすわけにもいかない。本来であれば本家ブログで一日一書評を目指しているのだが、こちらにも「心が動いた」軌跡を不定期で綴ることにした。

 えぞしろくま氏は二つのブログで「先輩からの手紙」を紹介しているようだ。

ぷるぷるメモ
ガラガラポン日記 1
ガラガラポン日記 2
 ・『よくわかる仏法用語』抜粋転載のまとめ

 この人物が存命であれば、私は今直ぐ会いに行ったことだろう。飛行機代なんか全然惜しくない。今の段階ではそれほど尋ねたいことはないのだが、とにかくその息吹き、呼吸、生きざまに触れたかった。年が違うとはいえ、私よりも10年先んじている方だ。心の底からその死を惜しみ、悼(いた)むものである。

 時代の変化もさることながら、学会の中も、相当に一般活動家の中に不満がたまり、求心力を失い、崩壊を食い止めるのに精いっぱいのように見受けられます。

 1998年3月9日付の手紙である。当時、私はまったく気づかなかった。なぜなら私がいた地域は求心力が漲(みなぎ)っており、男子部として全国制覇の連覇を成し遂げていた渦中であったからだ。私が創価班の総区委員長になった頃である。壮年婦人にも勢いがあった。新聞啓蒙だと地区で世帯の50倍の結果を出しても総区で1位になることはできなかった。

 過去の折伏全国制覇10連覇における最後の世代が私の世代であった。卒業したOBからも「伝統の火を消すな」「流れを断つな」と個人的に散々含められた。「お前と○○がいれば大丈夫だ」とも。

 その後、八王子へ引っ越して平均的な組織の惨状を初めて知った。創価大学の職員が牛耳る八王子の幹部は宦官(かんがん)さながらであった。問題があっても見て見ぬ振りを決め込み、とにかく婦人部と波風を立てないことが活動の主流となっていた。連絡はしても個人指導・家庭指導が行われることはなく、煙たい人物がいれば村八分を行うという体たらくであった。

 そこそこ実行力のある私が動いても、解決までに数年を要するほど悲惨を極めた。副会長や方面長と談合しながら進めてもそれほどの時間がかかった。それまでに私はたぶん数十人の幹部に罵声を浴びせている。某副会長も含めて。

 その間隙を縫ってメールのみで個人折伏を成し遂げ、全国および海外の創価学会員から寄せられた相談に一つ一つ手を打っていった。私の手が届かない問題は学会本部を動かして対応した。やり残したことは一つもない。すべてケリはつけた。その程度の訓練は受けている。

 手紙の先輩が凄いところは、私がクリシュナムルティを通して理解し得たことを、仏法そのものから探り当てた一点にある。