私もずっと「意味」だと思ってました。実際はシンボルとしての情報でしょうね。で、アナロジーへと。 RT @ujikenorio: 宗教(仏基)の理論家(神学者・宗学者)においては、言語を情報と捉える発想はほとんどない。…それを踏まえるならば宗教言語とは確かに一つの情報なんでしょう。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月31日
クロード・シャノンが道を開いた情報理論では意味を完全に無視する。問われるのはエントロピー(情報量)と圧縮度のみ。
私もずっと「意味」だと思ってました。実際はシンボルとしての情報でしょうね。で、アナロジーへと。 RT @ujikenorio: 宗教(仏基)の理論家(神学者・宗学者)においては、言語を情報と捉える発想はほとんどない。…それを踏まえるならば宗教言語とは確かに一つの情報なんでしょう。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月31日
多分「宇宙」なんでしょうね。で、実はその正体が「脳」。言語ネットワークが築く縁起の世界 RT @ujikenorio: (万教帰一の理論とは異なりますが)宗教の言語と科学の言語は、同じ対象の異なる説明なのかも知れません RT @fuitsuono: 既に「常識が変わってしまった」
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月31日
日蓮がマンダラ&マントラを勧めたのは印刷技術がなかったためである、と私は判断する。人々の心を結ぶためには、論理的な言葉よりもむしろ儀式性(化儀)であったのだろう。それゆえ日蓮の教えが初期仏教よりもバラモン教的になることは避けられなかったと考えられる。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月27日
ネタ本はこれだ。長尾&服部正明による「インド思想の潮流」がすこぶる面白い。/『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人責任編集(中公バックス、1979年) amzn.to/10HZCd6
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月27日
「初めて」というのは誤り。少し前から存在したが、象徴としてグーテンベルクの名前を使っているだけのこと。/“グーテンベルクは1439年ごろ、ヨーロッパで初めて活字による印刷を行った。” ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月27日
19世紀に入り写真が発明され、これが印刷の製版に応用され、従来の手書きの版から現在の写真版への道を開いた。 spp.or.jp/spp_docs/histo…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月27日
“明治時代に入り、1870年には本木昌造が長崎に新町活版所を創立、これが日本における民間初の洋式活版の企業化である。” ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B0…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月27日
1891 東京朝日新聞が日本初の輪転印刷を開始/印刷の歴史 mahoroba.ne.jp/~abura/insatu.…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月27日
“1893年頃:エジソンが謄写版印刷を発明。「ガリ版」の名で知られ、PPC複写機が普及する1980年代まで広く使われた。” kenbunsya.jp/print/p01.html
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月27日
1900年:日本においても、外国の印刷・製版機械および技術が続々と紹介され、コロタイプ、凹版印刷なども活版・石版の両印刷と並び進歩を遂げた。 waterless.jp/waterless/hist…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月27日
意外に知らない? 写真で見る「印刷の歴史」 - ITmedia eBook USER ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月27日
宗教は、われわれの子供たちが合理的な教育を受けられないようにしている。宗教は、われわれが戦争の根本的な原因を取除くことを阻止している。宗教は古い峻烈な罪と罰の教義のかわりに、科学的協力の倫理をわれわれが教えられないようにしている。人類は黄金時代の入口にいるとも言えよう。しかし、もしそうだとするならば、まず第一にその扉を守つている龍を殺す必要がある。この龍の名は宗教である。
【『宗教は必要か』バートランド・ラッセル:大竹勝訳(荒地出版社、1959年)】
これこそ対話が、勧誘・宣伝に転落する瞬間。 RT @ujikenorio: 本来、宗教は、多様な言語を駆使する可能性を豊穣に備えた人間の現象なんです。しかし維持が目的となってしまった時、排除の構造と保全機能が全面に出てしまい多様な言説空間が排除されてしまう。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月30日
松本区検は23日、昨年12月の衆院選の際に菓子を配って公明党への投票を呼びかけたとして、それぞれ運動員で、長野県松本市、無職井上みや子(83)と浜松市、無職加茂賀枝(よしえ)(55)の両容疑者を公職選挙法違反(買収)で松本簡裁に略式起訴した。
起訴状によると、2人は12月16日投票の衆院選で、比例選北陸信越ブロックで公明党の候補者を当選させる目的で、同月6日に松本市の女性方など10か所で有権者10人に対し、公明党に投票してもらう報酬として、菓子など計28点(販売価格計6350円)を配った、とされる。
捜査関係者によると、両容疑者は「当選させたかった」と容疑を認めている。
菓子などを受け取ったとして同法違反(被買収)で書類送検された男女10人については、長野地検松本支部が23日、不起訴とした。
比例選北陸信越ブロックには公明党から、党国会対策委員長の漆原良夫氏と新人の田島公一氏が立候補。漆原氏が6選を決めた。党県本部は「事実関係を確認している」としている。
【読売新聞 2013-04-24】
既に「常識が変わってしまった」事実を宗教側が全く理解していない気がしますね。現実にパラダイムシフトを促してきたのは科学です。教義が言葉の支配を免れない以上、それは情報です。脳といっても情報です。宇宙も情報。 RT @ujikenorio: 科学が宗教に迫っていることは否定できない
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月30日
何だかいい加減なこと、あいまいなことだらけで、私たちが信じてきた「整然とした自然」とは正反対ですが、それが自然の本当の姿なのだと、量子論を築いた物理学者たちは考えました。量子論は、物質や自然がただ一つの状態に決まらずに非常にあいまいであることを、そしてあいまいさこそ自然の本質であることを私たちに示したのです。
【『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!』佐藤勝彦監修(PHP文庫、2000年)】
釈迦の非我説は、詳しくは五蘊(ごうん)非我説といいます。
【『仏教の謎を解く』宮元啓一(鈴木出版、2005年)】
3年ほど前に取材に行った先から寄付依頼のパンフが届いた。カルト臭ハンパ無い。でもまあ、その時にも思ったけど、問題は必ずしも教祖の側にだけあるわけではない。教祖の周辺には「信者体質」の人間たちがいて、その彼らの異様な鵜呑みのスクラムが信仰を補強している。思い出しても気味が悪い。
— 小田嶋隆さん (@tako_ashi) 2013年4月21日
他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。(『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月29日
そこで安全衛生情報センターの死亡災害データベースを見ると、「新聞販売業」の死亡事故は
平成15年 50件
平成16年 54件
平成17年 60件
平成18年 45件
と推移している。このうち大半は新聞配達中の事故である。平成16年の業種別死亡災害は「商業」が145件であるから、三分の一以上を新聞販売業が占めている。これは死亡事故だけの話であって、これ以外に多くの怪我人が出ている。新聞販売業が含まれる「小売業」の労働時間あたりの死傷事故度数は2.76であるが、これは全産業の1.78を大幅に上回る。また、配達員が人に怪我を負わせるケースもあるだろう。人の命と引き換えにしてまで、新聞を家で読みたい人がどれほどいるのか、真剣に検討せねばならない。
【安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉】
うちのダンナさんが、昨年末に党員拡大キャンペーンみたいなので党員登録し、年間の党費3000円を上納したんだけど…今度は、公明新聞の啓蒙してこいって話になったみたいで…肩落としてた(ー ー;)
— うさこさん (@m_whole) 2013年3月10日
昨日紹介した小林の講演より、いくつか紹介する。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月20日
信ずることは諸君が諸君流に信ずるということですよ。知るということは万人の如く知ることですよ。人間にはこの二つの位置があるんです。知るってことはいつでも学問的に知ることです。(小林秀雄)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月20日
信ずるってことは責任をとることです。僕は間違って信ずるかもしれませんよ。万人の如く考えないんだからね僕は。僕流に考えるんですから、もちろん僕は間違えます。でも責任はとります。それが信ずることなんです。(小林秀雄)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月20日
だから信ずるという力を失うと人間は責任をとらなくなるんです。そうすると人間は集団的になるんです。「会」が欲しくなるんです。自分でペンを操ることが信じられなくなるからペンクラブが欲しくなるんです。(小林秀雄)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月20日
ペンクラブは自分流に信ずることはできないんです。クラブ流に信ずるんです。クラブ流に信ずるからイデオロギーがあるんじゃないか。そうだろ? 自分流に信じられないからイデオロギーってもんが幅を利かせるんです。(小林秀雄)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月20日
だからイデオロギーは匿名ですよ、常に。責任をとりませんよ。そこに恐ろしい力があるじゃないか。それが大衆・集団の力ですよ。責任をとらない力は、まあこれは恐ろしいもんですね。(小林秀雄)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月20日
「公明党の党首はいまだに国民的イシュー(問題)とは思わない、と発言している」。首相の安倍晋三が政権発足後初めて臨んだ17日の党首討論。日本維新の会の共同代表、石原慎太郎は憲法改正に慎重な公明党代表の山口那津男を前に、安倍を挑発した。
「あえて忠告しますが、必ず公明党はあなた方の足手まといになりますな」。安倍は黙って聞いた。
維新が3月末の党大会で訴えた夏の参院選に向けた目標は「自公両党の過半数阻止」と「憲法改正の発議に必要な3分の2以上の議席獲得」。一見、矛盾しそうなこの2つの目標から透けるのは、選挙後に憲法改正に積極的な自民とみんなの党、民主党の一部の勢力と連携し、憲法改正を軸に主導権を握る戦略だ。(以下略)
【日本経済新聞 2013-04-19】
小林秀雄の歴史的名講演。/信ずることと考えること【前編】 - nicozon nicozon.net/watch/sm192131…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月19日
これはよく聴いておいた方がいいよ。/信ずることと考えること【後編】 - nicozon nicozon.net/watch/sm192136…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月19日
講演冒頭で「クリシナムルテ」と言っているのはクリシュナムルティのこと。:超能力に対する態度/『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』 - 古本屋の覚え書き d.hatena.ne.jp/sessendo/20090…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月19日
訳者(今武平〈こん・ぶへい〉)は今東光、日出海兄弟の父親。今武平は神智学協会の会員で、日本郵船会社の船長職に就(つ)いていた。著者名は「クリシナムルテ」となっている。 d.hatena.ne.jp/sessendo/20100…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月19日
私は飲むよ(笑)。李下に冠を正すのも平気。戦後、闇米を食べずに死んだ裁判官がいたが、子供染みていると思う。 RT @kanshi_bot: 渇不飲盗泉水,熱不息悪木陰。=渇すれども盗泉(とうせん)の泉は飲まず,熱けれども悪木(あくぼく)の陰には息(いこ)わず。【陸機「猛虎行」】
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月29日
そりゃ少子化になりますな。RT @ak_canary えっ?@ma_co_too 出社する時の地下鉄で「子どもがうるさいので降りてくれませんか。みんなこれから働くんですよ」と親子連れに意見したOLに遭遇。泣きそうな顔で子どもを連れて降りたお母さんに勝ち誇った顔をしたOLに嫌悪感
— 尹雄大さん (@nonsavoir) 2010年8月27日
さっきツィートした件だが、OLは普段は子供好きで知られた人だったかもしれない。子供が尋常ではないうるさい騒ぎ方をしていたかもしれない。親はそれを放っておいたかもしれない。あるいはOLの虫の居所が悪かったのかもしれない。
— 尹雄大さん (@nonsavoir) 2010年8月27日
情報を額面通りに受け取る人は操作されやすい傾向がある。抜け落ちた事実や異なる可能性を想像する感性、誤解や嘘を見抜く力が求められよう。 RT @nonsavoir: OLは普段は子供好きで知られた人だったかもしれない…かもしれない…かもしれない…かもしれない。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月29日
これを廃用症候群という。ひどくなると関節拘縮、骨萎縮に至る。廃用症候群は心身にわたる。精神も実際に廃(すた)れる。 RT @teleworkerst: 使わないと筋力ってすぐに落ちるのね。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月29日
某スレで見かけた真理。「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと。 鬱になりそうなとき、それが一番マズい」
— 手動人形さん (@Manualmaton) 2013年4月16日
興味深い指摘。/東晋平氏の日本仏教瞥見。「本地垂迹」から「神本仏迹」へ……国家や民族を超える普遍性を日本仏教はどのように喪失したのか。 togetter.com/li/270927
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月14日
論破されて納得した人ってあんまり見たことない。
— 小田嶋隆さん (@tako_ashi) 2013年4月16日
論破されて納得する人って、ケンカで負けると子分になるみたいな、異常にさわやかな人格なんだろうな。
— 小田嶋隆さん (@tako_ashi) 2013年4月16日
実際に、議論ということになると、訓練を受けた宗教団体の人には勝てません。でも、議論に負ける度に入信しているわけにも行かないので、わたくしどものような人間は、議論という過程自体を疑う方向で心の安定を得るわけです。
— 小田嶋隆さん (@tako_ashi) 2013年4月16日
信仰とは、静かな発狂かもしれない。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月13日
なにが正気で、なにが狂気だろう? だれが正気で、だれが知っているだろうか? 政治家は正気だろうか? 聖職者たち、彼らは狂っていやしないか? イデオロギーに専念している人たちは正気だろうか?(続く)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月13日
私たちは彼らに操られ、型にはめられ、小突きまわされている。私たちは正気だろうか?(続く)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月13日
正気とはなんだろうか? 全人的であること、行動や生活や、あらゆる種類の関係において、断片的でないこと――それが正気であることの本質だ。(『クリシュナムルティの日記』) sessendo.blogspot.jp/2011/11/j_11.h…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月13日
みんな同じものを嫌いでみんな同じものを好きな集団は、仲間ではなく同一化。こういう集団に長くいると、自分という存在を消滅させて集団に依存させて適応しようとし始める。常に自分の意見より集団の空気を優先する。
— 為末 大さん (@daijapan) 2011年9月28日
「絶対ダメだよ。邪道。憲法の何たるかをまるで分かっちゃいない」。安倍首相らの動きを一刀両断にするのは憲法学が専門の慶応大教授、小林節さんだ。/特集ワイド:憲法96条改正に異論あり 9条を変えるための前段、改憲派からも「正道じゃない」 mainichi.jp/feature/news/2…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月12日
過去の栄光や過去の経験則にだけ呪縛されている人と一緒に長く過ごしたくない。それは人生の損失だ。現在燃焼しきっており全てを今の行為にだけ賭ける者にとって過去はさして重要ではない。過去を全て捨てていける程潔く後悔しない生き方をするには今(する事)だけを大事にするしかない。
— 西村 純 Jun Nishimuraさん (@olivlove) 2013年4月11日
パワーポリティクスとマジョリティを脱構築する他なさそうですな。できれば、脱構築よりも破壊を希望(笑)。私は全人類が出家するしかないと本気で思っています。 RT @ujikenorio: 学としての正義論というのをどのように立ち上げていくのか、大きな自分の課題です。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月27日
仮に真理を言葉にすることができたとしても、言葉そのものは真理とはならない矛盾。翻訳されたものは原文に非ず。コミュニケーションの不完全性。それでも人と人との心が通じる不思議。 RT @ujikenorio: 難しいものは難しい表現に成らざるを得ないものだ…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月25日
さて哲学においては真理の探求という大義名分のもとで、いかなる哲学者の学説に対しても、その学説が真理である根拠とは何かと問うことが許されている。プラトンは師ソクラテスの説の不十分性を自覚していたから、イデア論を構想したし、アリストテレスはまた師プラトンのイデア論の不十分性を、様々な分析において示している。理論はそれを主張した哲学者の人格的評価とは別の運命をたどることになる。ところが哲学と同じような人間の営みの一種である宗教の場合は事情が多少異なっているように理解されているようだ。つまり理論は人格と必ずしも分離していないのである。それは宗教が人格的救済を存在理由の一つにしており、特に創唱宗教の場合は、創唱者の思想は創唱者自身の人格において実現され、その人格がモデルになるからであろう。したがって創唱宗教の場合は創唱者の思想は絶対視され、その思想にいかなる根拠があるのかと問うことは、その創唱者に由来する教団においては、創唱者への人格的冒涜であると見なされやすい。
我々はみな、ひとりひとりが、自分が自分のあり方として想像したもの、そして相手から想像されたものとして存在している。
【『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実』フィリップ・ゴーレイヴィッチ:柳下毅一郎〈やなした・きいちろう〉訳(WAVE出版、2003年/新装版、2011年)】
遠慮なくものをいうことは、一つの知的義務である。
【『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ:森島恒雄訳(岩波新書、1951年)】
1970年、チリ共和国でサルバドール・アジェンデ大統領を首班とする社会主義政府が樹立。第二のキューバとなることを恐れた米国はCIAを使って右翼にスト、デモを引き起こさせるなどの工作活動を展開した。当時の国務長官はキッシンジャーだった。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
リチャード・ヘルムズCIA長官は、「おそらく十に一つのチャンスしかないが、チリを救わなければならない!……リスクはどうでもいい……1000万ドル使え、必要ならばもっと使える……経済を苦しめさせろ……」と指示し、どんな手を使ってもアジェンデ政権を打倒する姿勢を見せた。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
さらにCIAは物流の要である1972年9月にはトラック協会に多額の資金を援助しストライキをさせた外、政府関係者を買収してスパイに仕立て上げた。これに加えてアジェンデ政権は経済的失政を招いてしまいチリ経済は混乱を極めた。経済が揺れると人心も揺れる。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
1973年3月の総選挙ではキッシンジャー自らがアジェンデ支持に回ったキリスト教民主党を切り崩した。1973年9月11日、ピノチェト将軍はCIAの全面的な支援の下、軍事クーデターを起こした。アジェンデ大統領は砲弾が飛び交う中でラジオ演説をし、徹底抗戦を叫んだが殺害された。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
「私は世界の多くの優れた人間に会ったけれども、その中で二人だけが他の人たちにない何ものかで私を印象づけた。それはチェ・ゲバラと周恩来であり、その二人のまなざしであった。両人のまなざしには内的な力と確信と皮肉があった」(アジェンデ大統領) http://bit.ly/cZbJWU
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
ピノチェトが軍事クーデターを起こした5日後の1973年9月16日にビクトル・ハラは殺された。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
【動画】ビクトル・ハラはこんなにも優しく豊かな声をしていた。本当に強い男は物静かだ。 http://www.youtube.com/watch?v=hesTpJ4oGvk
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
アメリカは同様の工作を南米各地で行ってきた。/ラテンアメリカに敵対する アメリカ帝国とCIA http://bit.ly/dtEzKC
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
更にアメリカはエコノミック・ヒットマンを使って、南米を侵略し続けている。 http://bit.ly/cUSd67
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
我が日本はこういう国に守ってもらっている。幸か不幸か? それは一人ひとりが判断することだ。私は不幸なことだと思っている。巨大な悪は大きすぎるあまり、我々の視野に収まらないのだ。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
嘘は暴力にいたる控え室です。「真実が君臨すること」が民主社会の基本です。(パトリシオ・エイルウィン元チリ共和国大統領)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
ですから、権威や順応や模倣を完全に無視しなければなりません。でなければ、あなたはただ模倣をし、人の言葉に従うだけであり、それが心を鈍く愚かにしてしまいます。そこに自由はありません。(クリシュナムルティ)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月8日
【動画】軍歌には国威発揚のための単調かつ一方的な響きしかない。民衆の間から生まれた歌は、これほどのしなやかさと強靭さとを秘めている。 http://bit.ly/bPKq4m
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
【動画】ピノチェト政権は何と1989年まで続いた。これを支えたのはアメリカだった。当時の映像からは、民衆の怒りと悲しみが伝わってくる。パトリシオ・エイルウィンが大統領になるまで圧政は続いた。 http://bit.ly/9lyt2B
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月24日
マルクス主義の敗北は政治の敗北を意味していると思う。つまり、理想的なシステムなど存在しないことが証明されたのだ。民主主義はそれ以前に敗れている(笑)。生き残ったのは資本主義という名のインチキゲームである。社会主義への揺り戻しが起こり、その後、世界は宗教化するしかないだろう。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月23日
「悪は倒して排除するのではなく改心させる」(プリキュア)/Photo by vc10 • Instagram instagram.com/p/Xj4eucG4sc/
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月1日
世界の至る所に「地獄」があるが、逆に言えば地獄ではないところもあるのだから、そこに逃れるべきなのだ。
しかし、残念ながら、多くの人たちはそれができない。だから、国に翻弄され、社会に翻弄され、時代に翻弄されながら、地獄をさまよいながら生きていくことになる。
あなたは、どうだろうか?
【ブラックアジア】
ネットで誤読された場合、それが誤読であることを解説するのは無駄。誤読して罵倒した人たちは、自分が誤読したという事実を認めたくないため、いくらでも屁理屈をこね続ける。
— fromdusktildawnさん (@fromdusktildawn) 2011年3月6日
人は、分からないからこそ人との関係に悩み、少しでも分かろうとするための努力を続けます。しかし、「早く分かる」ことだけを求める時、人はしばしばこの努力を怠り、自分を安心させようとして勝手な解釈をしたり、相手を理解したつもりになります。(酒木保)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2011年3月8日
空虚な人物ほど他人を自分のレベルに貶めようと頑張る。 RT @buddha_words: 657 人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである(スッタニパータ)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2011年3月8日
人は自分の将来について語るよりも、他人のことを多く語る…特に嫌いな人のことは延々と話し続ける。身体に良くないし、一番嫌いな人の為に一番多くの時間と想いを酷使している…それで何も善い事など起こらないのに。そして同じように自分も陰で言われていることに付いていない…人の批判は自己紹介だ
— 工藤村正さん (@muramasakudo) 2011年3月6日
RT @buddha_words: 663 種々なる貪欲に耽る者は、ことばで他人をそしる。彼自身は信仰心なく、物惜しみして、不親切で、けちで、やたらに陰口を言うのだが(スッタニパータ)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2011年3月9日
すべての欲望を捨て、願望なく、「私のもの」という思いなく、我執なく行動すれば、その人は寂静に達する。(七一)
アルジュナよ、これがブラフマン(梵)の境地である。それに達すれば迷うことはない。臨終の時において、この境地にあれば、ブラフマンにおける涅槃に達する。(七二)
【『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦訳(岩波文庫、1992年)】
相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、煩悩即菩提生死即涅槃とは是なり、信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり(生死一大事血脈抄)
春の語源は三つある。草木の芽が「張る」、田畑を「墾(は)る」、気候の「晴る」。春は胎動と再生の季節だ。コートを畳んで颯爽と外へ出よう。至るところで草木が芽吹いている。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年3月21日