誰もが自分勝手な正義を持っているから、ぶつかり合うし、言葉の喧嘩のようにもなる。
しかし私は、正義を語ることは、一種の罠だと疑うようになったし、それ自体間違いかもしれないとも思うようになってきた。
【『考える生き方』に書かなかったブログ論の一部:極東ブログ】
TPPの何が問題なのか? togetter.com/li/461056
— fUdou支配人さん (@takecchi2005) 2013年2月24日
こう言っていたのに・・・/TPP交渉参加問題 国民的議論を欠き、拙速 | ニュース | 公明党 komei.or.jp/news/detail/20…
— fUdou支配人さん (@takecchi2005) 2013年2月24日
はあ?国民的議論はどうなった!?/【TPP交渉参加へ】公明代表「判断は政府に一任」 - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/politics/news/…
— fUdou支配人さん (@takecchi2005) 2013年2月24日
やはり次代を拓くのはアウトサイダーでしょうね。インサイダーってのは奴隷の異名ですから(笑)。 RT @ujikenorio: その意味では、組織や団体、カテゴリーなんかでそのものを判断したり、議論したりする時代というのは終ったのかもしれませんね。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月11日
エクリチュールってのも聖書に関連してそうですね。東洋の哲学性が弱いのは、漢字の表現性が強いためだろうと私は考えてます。だから哲学性よりもイメージ重視。マンダラ。 RT @ujikenorio: 解釈学はヨーロッパで発展したのも事実。儒学的訓詁学が形骸化していったのとは対象的。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月11日
流れ星ならともかく、大宇宙はときに、とんでもないものを我らが星に落としてよこす
【天声人語/朝日新聞 2013-02-19】
隕石が落ちても平常心を保つ(笑)。/onologue - ladymalchav: onologue.tumblr.com/post/437971111…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年2月23日
【動画】原爆投下 科学者と被爆者 初の対話(広島) http://bit.ly/9BsWGO 人間と人間の理解と共感を妨げているのは国家であり、その実体は政治と宗教であろう。人の心の底知れぬ深淵を見る思いがする。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月10日
近代の歴史は「隔絶構造」を解体してきたと思います。まず16世紀の二大事件、マゼランの世界一周で対蹠面説が証明され、コペルニクスの地動説で座標軸が相対化されたといえるでしょう。 RT @ujikenorio: 隔絶構造故にイエス・キリストの存在が要請されます。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月9日
速報 次期中国外相に王毅(元駐日大使)が有力 宮崎正弘 | 杜父魚文庫ブログ blog.kajika.net/?eid=1002809
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年2月21日
“自分の「ソースコード」を書き直すのは、たしかに大変でしょう。慣れ親しんできたものほど書き換えは難しくなりますが、書き換えなければ、現在のプラットフォームでは機能しない、役立たずのコードを背負い込むことになってしまいます。” lifehacker.jp/2013/02/130220…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年2月21日
中学高校で「詰め込み教育」を受け、大学ではろくに勉強せずに、霞ヶ関や大企業を好み、3年生で内定を受け、会社に入ったら上司の顔色をうかがいながら一生懸命に働き、偉くなったら天下り。これが日本のエリートだ。私がNTTの研究所に入って最も失望したのは、部長クラスの人達全員の頭が自分の「天下り先」このとで一杯だったこと。
【Life is beautiful: 日本の大学生はなぜ勉強しないのか】
昨年の衆院選で公明党が比例票を各地で減らした反省から現場組織への締め付けが激しい。本当に反省すべきは党であり本部であるはずだが現場が悪いらしい。
— たくごろうさん (@katsu3847) 2013年2月17日
売り上げとかのデータに頼らないとアニメ語れない意識の低いアニオタは匿名の掲示板でもtwitterでもとにかく数を集めて殴り合いやら煽り合いやら意識の低いアニメ論議を交わしてるわけですが。意識高い系の人たちって基本群れてるイメージがないし、意識の低いアニメ原人みたいに石(数字)や棍棒(評価)もって殴り合いしてるイメージもないし。ただただひたすらアニメを消化することによって徳を積む日々を送っているのだろうか。
【ツイプレッション : 意識高い系のアニメオタクって普段何食べて生きてるんですか】
カルト宗教というのは間違いなくロクなもんじゃないが、「カルトに転じうるポテンシャル」さえ持ち合わせてない宗教というのも、同じくロクなもんじゃない。伝統仏教からはそういう勢いが失われて久しい。そして創価学会や新宗連あたりも、最近そういう坂をすごいスピードで転がり落ち始めている。
— OGAWA Kandaiさん (@grossherzigkeit) 2013年2月2日
以前「絶対屈折しないでくださいね」ってDMくれた人がいるんだけど、どうしてるかなーと思ってのぞいてみようと思ったらブロックされてました。あの人から見れば、かっぱもずいぶん立派に屈折してしまったんでしょうね。( ̄(工) ̄)
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年2月11日
折伏と屈折って、よく似ているね。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年2月12日
依存症クライシス。仕事も趣味も宗教も同様だ。/誰でも、抜けたくても抜けられない地獄に堕ちる可能性がある bllackz.net/blackasia/cont…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年2月8日
明日の分の予約ツイートを終える。このままいくと、自分の死んだ後まで予約しそうで怖い(笑)。千年後の予約ツイートが、その時代でも通用するならば、それは経典と呼んでも構わないだろう。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月7日
たった140字で表現される考え、感情、苦悩、呻吟(しんぎん)、叫びがある。ツイッターは人類が織り成す喜怒哀楽のタペストリーだ。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月8日
世界で一番短い手紙(電報)は、ユゴーの「?」で、出版社からの返事が「!」というもの。これ、発売されたばかりの『レ・ミゼラブル』の売れ行きを尋ねたやり取り。意図的に省略された情報を「外情報」といい、これが多いほど受け手は文脈を理解しようとして想像力を駆使する。情報の圧縮。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月8日
圧縮された情報が豊かな広がりを持つ。例えば俳句。ツイッターでは日本語が有利とされるが、それは漢字表記のため。漢字がもつ表意・表象それ自体に圧縮された情報が豊富に盛り込まれている。140字のメッセージが誰かの琴線を振るわせた瞬間に生まれる関係性。これを縁起(えんぎ)と名づけよう。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月8日
ツイッターから新しい文体が生まれるとすれば、それは略語+記号+漢文になりそうだ。漢字は言葉であり絵でもある。世界を図で表したものがマンダラだ。図は視覚における優位性がある。漢字には意味性の優位がある。明滅しながら浮かんでは消えてゆくツイートの果てにいかなる世界が現れるのか?
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月8日
今まさに枯れようとしている若草に、ひとしずくの雨が当たって起死回生の蘇生を遂げる。この時、因果はどこで生じるのか? それは蘇生した瞬間である。雨が当たるまで両者に関係性は生じていない。つまり蘇生という一事が偶然を必然に書き換えたのだ。ここに物理学的な意味合いの因果は存在しない。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月6日
もしこの世が完全な因果律に支配されているとすれば、それは天地創造をした時に全てのシナリオが決定されたとするキリスト教的世界観と何ひとつ変わらないことになる。因果が示しているのは業(行為)の連続性である。行為は必ず報いとなって束縛を加え、次の行為に影響を与える。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月6日
空=言葉、仮=生身、中=理論、でどうでしょうか? 理論は理屈ではなく真理の意味で。情報(空)、事実(仮)、現象(中)といってもいいかもしれません。 RT @ujikenorio: 空仮中の三諦の理論
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月6日
思想としての法華経を仏教の究極とみた日蓮は、なぜ題目を「考案」し、法を体得するには繰り返しの唱題が欠かせないと主張したのか。人間の生き方としての思想を広める以前に、当時の社会に蔓延していた現世忌避思想としての念仏を、まずは人びとの口から奪わねばならないと考えたからではないか。
— ana_gonさん (@sinkousya) 2013年1月31日
念仏を唱えることで酩酊状態に陥っている大衆を覚醒させるには、とにかくその口から念仏を駆逐することが絶対条件と考えたのだろう。かといって、新種の酒による別の酩酊を意図したわけでもあるまい。とすると、思想性を伴わない「唱題」にはどんな意味があるのか。
— ana_gonさん (@sinkousya) 2013年1月31日
時の権力者に宛てて提示された「立正安国論」に、唱題の絶対性や「効用」については一切書かれていない。科学時代の今日、日蓮在世当時に比べそれなりの知的レベルにある大衆に、人類共存のための、平和思想としての仏教はどうすれば伝達できるのか。権力ごっこや普請道楽にふけっている場合ではない。
— ana_gonさん (@sinkousya) 2013年1月31日
読経に聴き入ることは、感情と生理を伴う思考パターンに導くために、心を好ましくないループから抜け出させるもうひとつの重要な手段になります。祈りも、好ましくない思考パターンを、意図的に選んだ思考パターンに換えてくれるので、蜂の巣をつついた騒ぎのような言葉のくりかえしから、意識的にもっと平和な境地へ導く手段となるでしょう。
【『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー:竹内薫訳(新潮社、2009年/新潮文庫、2012年)】
話したり書いたりする内容が難解な人は、決して頭がいいわけではない。ただし頭が悪いわけでもない。ただ表面的な考えで満足する癖がついていて、つまり思考が肉体化されていないのだ。「思考の肉体化」、これも難解だ。要するに「脳みその奥の方がキリキリするまで考えぬく」ことが出来ていないのだ。
— G.D.Greenbergさん (@G_D_Greenberg) 2013年1月31日
ヴェーサリーは楽しい。ウデーナ霊樹の地は楽しい。ゴータマカ霊樹の地は楽しい。七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい。バフプッタの霊樹の地は楽しい。サーランダダ霊樹の地は楽しい。チャーパーラ霊樹の地は楽しい(大パリニッバーナ経,第三章 2)
— 仏陀 ブッダ ことば 仏教さん (@Buddha_Words) 2011年1月20日