2013-03-23

仏性

finalventの日記

 ・3月21日のツイート

 道元については以下のブログが詳しい。

翻訳家のノート

 仏性とは「仏に【なることができる】」という物語に過ぎない。誰もが「ブッダのようになりたい」と憧れを抱いたことであろう。その瞬間、ブッダは川岸の向こう側に偶像として立ち現れる。ブッダが悟った法よりも、ブッダのスタイル=三十二相八十種好が重んじられる。

 仏に【なることができる】という可能性は、仏に【なる】までの間は、【仏になることができない】自分自身を確認する時間帯となる。つまり、仏を目指しているにもかかわらず、【なることができない】因を積み続けていることとなる。

 果たして人間は少しずつ徐々に悟るのであろうか? ここから悟りへのアプローチ法(※方法ではなくスタイル)が変わってゆく。

 三法印四諦から生まれた。生きる上で大切なことは、仏のように立派な自分になろうとすることよりも、現実の苦をどう見つめるかである。その眼差しこそが三法印なのだ。

四諦と縁起