ニーチェはいう。「論争の相手は、今おごりたかぶっている権威を選べ。そして真理以外に味方のないことを確かめて、独りで戦え」と。
【『襲われて 産廃の闇、自治の光』柳川喜郎〈やながわ・よしろう〉(岩波書店、2009年)】
“須弥山に近づく鳥”はみな金色になるらしいのだが、ムラから出張ってくる連中は、どういうわけかほとんどがカラスまがいの黒鳥に見える。やつらを養ってるのはいったい誰なんだ?
— ana_gonさん (@sinkousya) 8月 27, 2012
副会長曰く…池田名誉会長がお元気な時に戦わなければ功徳がない。師弟の誓願とは命を投げ出すことだ。打ち出しをうけて動く人には功徳はない。一念とは一瞬の生命で、そこに広布の為、先生をお守りする為という二つの誓願が定まっていることを、キチンとした信心という。云々。
— シラユリくんさん (@shirayuri_kun) 8月 25, 2012
正直、そこまでとは思わなかった。副会長が来るということで、大結集が呼びかけられ、未活動の人まで参加していた。私と同じように、終了と同時に帰った人も数人はいたけど、みんな興奮状態で更に話を聞こうと副会長の元に集まっていた。命を投げ出して先生をお守りする喜びの団結…私は御免蒙る。
— シラユリくんさん (@shirayuri_kun) 8月 25, 2012
それで本人が幸せなら、そーっとしておいてあげたい気もするけど、「池田先生をお守りする為に命を投げ出す喜びを、自発的に、一念に定めよ」などと言われて動く人が幸せか?いつの時代のどこの国の話?これが現実?酷すぎる。
— シラユリくんさん (@shirayuri_kun) 8月 25, 2012
実に名言ですね。 RT @fufufufuf @sasakitoshinao 「酒に酔い、歌に酔い、女に酔う。だが一番酔えるものは正義だ」最近読んだ小説より。
— 佐々木俊尚さん (@sasakitoshinao) 8月 25, 2012
父と(大久保)清の妻がみだらな関係にあると、母が創価学会の会員に相談したことを聞いた兄貞吉は、このような背景があったからこそ、それを事実と思い込んで憤慨し、清の妻の実家まで伝えに行ったのであろう。このような兄の行為が決して悪意によるものではなかったとしても、清の兄に対する怒りと恨みに火をつける結果になったのは明らかである。
【『攻撃と殺人の精神分析』片田珠美〈かただ・たまみ〉(トランシュビュー、2005年)】
「労働者ではない」のだから奴隷だ。/痛いニュース(ノ∀`) : 「すき家」ゼンショー 「アルバイトは『業務委託』なので『労働者』ではなく残業代は発生しない」 - ライブドアブログ blog.livedoor.jp/dqnplus/archiv…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 8月 21, 2012
たとえ正論でも、群れから離れて論陣を張れば干される。大きく間違っていても群れの中で論を述べていれば常に主流を歩ける。そして群れの中にいさえすれば、いくら間違った発言をしても、あとで検証される事はない。これが日本の言論界です。孫崎享氏「戦後史の正体」より
— UMEさん (@UmeYume) 8月 13, 2012
他人の見解に便乗して賢者になるくらいなら、むしろ自力だけに頼る愚者であるほうがましだ。
— Nietzscheさん (@Nietzsche_Words) 8月 12, 2012
「危険を煽り不安を抱かせ救済を説くのはカルトの手法」←コレよコレ。「本人が良いと思ってるならいいんじゃん?」じゃダメなんだよ。カルト被害は個人の問題じゃないんだよ。人間関係壊すよ。家族を壊すよ。家族を守るはずの行為が家族を壊していくんだよ。そんなの変だよ。
— kodさん (@animalkod) 8月 8, 2012
彼らが求めているのは学習ではなく「共感」なんでしょう。だから共感できない学者の言葉からは学べない。.@syoyuri さんの「科学を殺しているのはだれなのか」をお気に入りにしました。 togetter.com/li/350823
— 工ロ吉さん (@kagakunoumi) 8月 6, 2012