2017-01-07

潜伏左翼か?


 私の世代でも知らない人が多いが、昭和40年代に左翼の細胞は各界に侵入した。彼らは内部から崩壊させる役目を担っており、その後も潜伏が続いた。スケールを小さくしたスリーパーといってよい。創価学会にも多数の左翼が入り込んだが詳細は不明である。60年安保の後半から創価学会は左側になびき始める。池田自身が公明党を「超左翼」と位置づける発言をしている。学生部にあっても新学生同盟(新学同)なる組織が結成される(1966年)。

10/19【学会】全協が発展し「新学生同盟(新学同)」結成される。代々木公園での結成大会に7万5千人が参加。(新学同として極秘に共産党・民青の調査を開始。)

学会の歴史(昭和44年) (3)

 尚、「大学立法粉砕全国連絡協議会」(全協)が結成されたのは1969年のようだ。

創価学会学生部 大学立法粉砕全国連絡協議会 新学生同盟

 当時の学生部でもしも「新宿騒乱」に参加した人物がいればご連絡いただきたい。

 ツイートの画像に同じ顔がある。年代からいえば潜伏左翼とは認めがたい。ひょっとすると潜伏左翼2世かもしれぬ。

 近代史が混沌としているのは左翼が果たした役割がいまだにわからないためである。第二次世界大戦においてアメリカは左翼に侵食されていた。GHQの半分も左翼であった。戦時中の日本ではゾルゲ事件が発覚。近衛文麿のブレーンを務めた尾崎秀樹〈おざき・ほつき〉がソ連のスパイであった。シベリアで抑留された多くの日本人もソ連によって洗脳された。昭和29年(1954年)に100万枚以上のセールスを記録した「岸壁の母」(菊池章子)はシベリアから帰る息子を舞鶴港で待つ母親の心情を歌ったものだが、モデルとなった端野〈はしの〉いせの息子は中国共産党軍に参加したまま帰国することがなかった。誓約引揚者としてスパイになった日本人の詳細については不明のままだ。スリーパーとして最も有名な大物は伊藤忠商事会長を務めた瀬島龍三である。尚、人権的立場から批判されることが多かったマッカーシズム(赤狩り)についても、ヴェノナ文書の発見によって正当であったとする評価が出始めている。

 左翼をナメたらあかんぜよ。