2016-06-17

組織化された信念に属している者たち

滝川さんはどうすればよいのか?

 野心的な人間は平和な人間ではない。平和や同胞愛を口にするかもしれないが、政治家は決して世界に平和をもたらすことはできない。また組織化された信念に属している者たちにもそれはできない。なぜならかれらはいずれも、指導者たち、救い主、教導者および規範の世界に条件づけられてきたからだ。そしてあなたが他人に従うとき、あなたはそれによって自分自身の野心の達成を追求しておられるのだ。それがこの現実の世界でで(ママ)あれ、あるいは観念化の世界、いわゆる霊的な世界においてであれ。競争心、野心には、葛藤が含蓄されているのではないだろうか?

【『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年/新装版、2005年)】

 つい先ほど読んだページにこう書かれていた。『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー』(全4冊)はクリシュナムルティにとって唯一の著作といってよい。刊行されている書籍の殆どは講話を編んだもので、他には手紙と日記の類いがある。原題は「生のコメンタリー」。作家のオルダス・ハクスリーから執筆を勧められ、第二次世界大戦の最中から書き始めたと思われる。クリシュナムルティのもとを訪れた様々な人物とのやり取りが描かれている。

 何不自由のないエリートの若者が数日前にクリシュナムルティの講話を聴き、深刻な悩みにとらわれる。「野心と競争心は取り払わねばならない」との一言が彼の魂を撃ち抜いた。

 第三代会長というポストに対する池田の野心(池石戦争:池田会長就任と石田派・牧口派の反発)を思えば、創価学会が「野心と競争心」まみれになることは避けようがなかった。後年、創価学会は阿部日顕の法主就任に対して疑難を主張したが、同じ穴の狢(むじな)としか言いようがない。

 人は自己実現のためにありとあらゆるものを利用する。教団においては指導者と組織への忠誠心が競われる。その忠誠心も一枚皮をはいでみれば野心であることが多い。競争に参加する者は必ず評価を求める。犠牲にするものが多ければ多いほど達成の度合いが強まる。学会幹部の家庭では当たり前のように子供が犠牲となる。ま、生け贄(にえ)のようなものか(笑)。

 卑小な自我が大いなる人物を求める。いかなる努力や犠牲も心の奥底にある葛藤を根絶することはできない。滝川さんの場合はご子息の除名をきっかけにそれが表面化したのだ。組織化された信念に属している者たちは救われることがない。

同一化

生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉

佐々淳行氏「日教組問題 差別教育をしている日教組」

 信念が目を曇らせる好例である。



滝川さんはどうすればよいのか?

6/4の話 小林節慶應義塾大学名誉教授のお話

 ま、創価学会首脳が末端幹部を相手に訴訟を起こす時代である。邪魔者を消す流れは今後ますます強まることだろう。

 少々心を痛めることはあっても多くの創価学会員にとっては所詮、他人事であろう。「学会本部の判断が間違えるわけがない」と無謬(むびゅう)性を信じる田舎者も山ほどいるに違いない。

 似たようなケースを私は解決したことがある。通常は地元組織が主導するのだが、滝川さんの場合は学会本部が判断を下し地元組織に下達(かたつ)されている。これを引っ繰り返すのは会長にチャンネルを持つ人物でも不可能だろう。しかも学会本部の判断の根拠が地元組織に伝えられた節が窺えない。

「今、お母さん(滝川光子さん)から重い話を伺った。私が、彼ら3名の立場だったら、やることははっきりしている。私が正しいと思う池田教を設立する。巨大化して、官僚化した組織と戦うのは人生のムダ。日蓮聖人だって、あんなに大きくなった身延を捨てた。葬式は死人に任せろという言葉もある。そんな官僚化した組織と戦うのは人生のムダ」――小林節のアドバイスは正鵠(せいこく)を射ている。

 組織悪と戦うのは一筋縄ではゆかない。「喧嘩のやり方」も知らずに正義だけ叫び、結果的に自分まで火だるまになるような連中が多い。小林の鋭さは「池田教」の一言に表れている。

 信心の目的は成仏することにある。本来であれば日蓮が説いた通りに修行すればいいわけだが、創価学会はここに師弟論を盛り込んでしまった。つまり「日蓮が説いた教え」を解説する人物が必要であり、この人物に付き従わなければ日蓮の教えを理解することはできない。で、挙げ句の果てには日蓮よりも師匠の方が重くなってしまった。

 滝川さんが池田教であり続ける限り、悩みが解決することはないだろう。「池田先生は正しい」と思うのは自由だ。しかし会ったこともない人物が正しいかどうかはわからない。その意味から申せば、日蓮もまた同様である。

 人は指導者(グル)への依存がある限り自由になれない。もっとはっきり言おう。日蓮への依存、池田への依存、マンダラへの依存が成仏に至ることはない。依存はどこまで行っても依存である。それゆえブッダは「犀(さい)のようにただ独り歩め」(※一般的な「犀の角」は誤訳)と教えたのだ。

組織化された信念に属している者たち

誰かが言ってた。「選挙の時に、真の友人かどうかがわかる」と。


「友達だから選挙応援」? 参院選出馬の今井絵理子ツイートが物議
友達だから、親戚だから、同僚だからって理由で投票したり応援したらダメで、あくまでも政策や公約に共感した場合に限ると思う

 誰かが言ってた。「選挙の時に、真の村人かどうかがわかる」と。
 誰かが言ってた。「選挙の時に、真の組合員かどうかがわかる」と。
 誰かが言ってた。「選挙の時に、真の日教組かどうかがわかる」と。
 誰かが言ってた。「選挙の時に、真の社員かどうかがわかる」と。
 誰かが言ってた。「選挙の時に、真の信徒かどうかがわかる」と。
 
 誰かが言ってた。「選挙の時に、政治意識の低さがわかる」と。

2016-06-14

自解仏乗

 中村元〈なかむら・はじめ〉訳『ブッダのことば スッタニパータ』(岩波文庫、1984年/岩波ワイド文庫、1991年)の書評で「自解仏乗」(じげぶつじょう)という言葉を書いた。念のため調べたところ一般的な仏教用語ではないと判断し削除した。検索すると日蓮系のページしか見当たらない。ただしこのターム(用語)は独覚やアルハット(阿羅漢)を示唆するので正しいものであると思う。

 少年日蓮の虚空蔵菩薩への祈願について、弘安2年9月16日の「寂日房御書」(定P1669)には、

 日蓮となのる事自解仏乗(じげぶつじょう)とも云ひつべし。かやうに申せば利口げに聞こえたれども、道理のさすところさもやあらん。

 と記されているところから「日蓮が虚空蔵菩薩への祈願により悟達を得たのならば、日蓮は御本尊を顕わす必要はなく、虚空蔵菩薩への祈願を勧めればいいことになる。現実には、日蓮は御本尊を顕わし門下に授与しているのである。故に、日蓮は自解仏乗を虚空蔵菩薩に仮託されたにすぎない」との説があるが、どうであろうか。

4 虚空蔵菩薩より大智慧を賜った日蓮 - 日蓮ノート

 日蓮に関して調べると頻繁にヒットするサイトである。私も同じような疑問を抱いていた。虚空蔵菩薩と真言宗に関しても書きたいことがあるのだが稿を改める。日蓮の悟りに関する疑問は既に書いた。

佐前佐後と日蓮の悟りに関する疑問

 佐後を本物とすれば佐前は爾前経となり、日蓮と名乗ることは自解仏乗でなくなり、虚空蔵菩薩よりたまわった大智慧も色褪(あ)せる。もう少し具体的にいえば本尊を重んじれば題目が軽くなり、他宗批判の根拠があやふやになってしまう。日蓮は三類の強敵を呼び寄せたことを自賛するが、その原因は自身の激越なテロリスト的言動によるものだ。権力者に他宗僧侶の殺害を命じる人物が仏であるとは思い難い。ひょっとすると勧持品二十行の偈に固執して、意図的に扇動パフォーマンスを行った可能性すらある。

 尚、「寂日房御書」については「真蹟なし・偽書の争論なし」(正宗系観察日記)とのことである。

 偽書説濃厚(『総勘文抄』に関する疑問)といわれる「三世諸仏総勘文教相廃立(総勘文抄)」には「十法界の依報正報は法身の仏一体三身の徳なりと知つて一切の法は皆是れ仏法なりと通達し解了する是を名字即と為す名字即の位より即身成仏す」(創価学会版、566ページ)とある。日寛が「当流行事抄」に引用している箇所だ。たぶん信を立てることで名字即でも成仏できるという論法だと思うが、そもそも名字即の説明として適切であるとは思えない(六即)。また創価学会員の体験談でこの自覚を述べた人を私は知らない。

 話を戻そう。16歳の日蓮は南無妙法蓮華経を発明していないし、日蓮を名乗った時点ではまだ本尊を顕していない。本尊を一大秘法と重んじて、それ以前の教えを爾前経とすれば、日蓮の論理でいけば成仏できた人は一人もいないはずである。それどころか日蓮自身の仏性(ほとけせい)すら疑われる。

 ついでに述べておくと、日蓮遺文の偽書の特徴として天台本覚論が指摘されるが、私は本覚論そのものが誤っているとは考えていない。悟るのは一瞬である。修行をすれば悟れるというのは錯覚だ。常にブッダの傍(そば)にいて多聞第一と謳(うた)われたアーナンダ(阿難)が悟りを開いたのはブッダ死後のことである。

 日蓮思想を検討するためには、阿含(テーラワーダ)批判、法相宗(唯識)批判、龍樹(中観)批判など、批判内容を吟味するのが手っ取り早いと思う。

 経典の古層に位置する『スッタニパータ』の中でも最古層とされる第4章では、繰り返し「論争するな」とブッダは教えている。日蓮が知ったら吃驚(びっくり)仰天したことだろう。

ブッダのことば―スッタニパータ (ワイド版 岩波文庫)ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

2016-06-13

梶原一騎

 斎藤貴男『夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎』によると、梶原は1970年初春、自民党と公明党から、1971年の第9回参議院議員通常選挙に立候補しないかと誘われたことがある(結局立候補はしなかった)。梶原の根性論は当時、創価学会会長の池田大作から大変気に入られていた。池田は演説に際して梶原作品を取り上げて根性の大切さを説き、その根性を「広宣流布」(広く仏法を流布すること)のために役立てよと述べた。このような縁から、梶原は荘司としおと組んで『公明新聞』に『熱血モーレツ記者』という作品を発表したこともあった。このことから創価学会員であるとの誤解をさせることがあるが、これは誤りである。

Wikipedia

「梶原の根性論」とあるが、具体的に引用されたのは『あしたのジョー』くらいしか記憶にない。平成前後のことなので上記記事の「当時」は混乱を招く。

梶原一騎伝 夕やけを見ていた男 (文春文庫)

2016-06-12

正本堂

 ま、資料ということで。創価学会版の映写は私も初めて見た。公明党をバロメーターとすると2000年に行われた第42回衆院選の比例票776万票や、1983年の衆議院59議席を無視するわけにはいかないが、やはり教団としての絶頂期は言論出版妨害事件(1960年代末から1970年代)~正本堂建立(1972年)であると考える。



竹入バッシング

 政界引退後の98年、竹入氏は朝日新聞紙上で創価学会と公明党の政教一致の実態を暴露し、党を除名される。

 聖教新聞や公明新聞はその後、“天下の変節男”“欺瞞の天才”“恩を仇で返す人間失格”と、竹入氏に批判の集中砲火を浴びせ続けた。

「その頃から、我が家は学会の偵察隊に監視されているんです。和解に終わったものの、党の金を横領したとして親父が訴えられたこともありました」(竹入氏の長男)

『週刊新潮』2016年6月9日号

 プライベートを暴くような記事は紹介したくないのだが記録として残しておく。