2015-06-17

小林節講演の所感

 いやはや勉強になった。創価大学の夏季スクーリング全部を足してもこの講演にはかなわない。学問に忠実な姿勢が独特の冴えを見せる。更に講演ではありながら、聴衆の反応をきちんと受け止めた対話となっていることも見逃せない。

 私は東京裁判史観を否定する立場なので小林の説に同調することはできない。小林は「愚かな戦争」と言っているが、日露戦争や大東亜戦争を経ることなしにアジア各国の独立はあり得なかった。500年続いた植民地状態は更に継続されたことだろう。また首相の靖国参拝について小林の論理は原理に傾きすぎている。諸外国のリーダーが戦没者を慰霊するのも全て憲法違反となってしまう。憲法は慣習法である。日本の民俗宗教が神道である以上、私は何の問題もないと考える。更に国家の外交力は軍事力の裏づけがあって初めて力を発揮することを見失ってはならないだろう。

白熱講義! 集団的自衛権 (ベスト新書)

2015-06-16

護憲派集会での小林節講演

 講演は9分過ぎから。因みに小林は改憲論者である。


小林節

池田大作

 見る度に更新されている。知らないことが多くてびっくりした。

Wikipedia

「正しい怒り」など仏教では成り立たない

 正義の味方までいかなくても、そういう「何かと戦おう」という感情が強い人は、すごくストレスが溜まっていて、いろいろな問題を起こします。(中略)
「悪に向かって闘おう」「正義の味方になろう」というのは仏教の考え方ではありません。「正しい怒り」など仏教では成り立ちません。どんな怒りでも、正当化することはできません。我々はよく「怒るのは当たり前だ」などと言いますが、まったく当たり前ではないのです。

【『怒らないこと 役立つ初期仏教法話 1』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2006年)】

 事実を指摘された時、素直に耳を傾けることができる人は少ない。もちろん私もそうだ。歴史認識のテーマが錯綜する最大の理由はイデオロギーの正当化にある。人類が都市化するに伴って宗教を巡る議論は教団の論理で語られるようになってしまった。つまり宗教はイデオロギーに堕したのだ。「怒り」は幸福な生命状態ではない。「怒り」が正しいと思うなら、朝から晩まで怒っていればよい。心ある人々は速やかに離れてゆくことだろう。スマナサーラが正しければ日蓮は誤っている。日蓮が正しければスマナサーラが誤っている。それを自分で判断すればよい。

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)怒らないこと 2―役立つ初期仏教法話〈11〉 (サンガ新書)