2015-10-03

語録

 戸田が一念三千論を説き始めるのと同じくして創価学会の金庫番だった池田大作が幹部として力をつけ台頭してくる。戸田は池田大作が創価学会の財政を立て直した手腕を認めていたが、その強引な経済活動や池田自身の性格の悪さは他の学会員から反発や批判を招いた。また池田が創価学会第一庶務課の女性会員と不適切な関係を続けていたことから女性会員のなかには池田を「不潔」と呼び毛嫌いするものもいた。そのため池田を戸田は「徘徊者」「始末屋」などと呼び「池田は金儲けや私心しかない」と批判、戸田は財政(経済)と宗教は切り離して行うべきという考えから池田の学会内での席次を低くし、重要ポストに就けなかった。そればかりか戸田が池田に私心を持たず性格や女性関係を改めるよう諭したこともあった。

【「池石戦争 > 池田大作の台頭と大阪事件」より】

 ソースは不明だが後に第一庶務の女子部が除名になっているとの別記事が信憑性(しんぴょうせい)を高めている(※ただし「第一庶務課」の有無が気になるところだ)。もともと戸田自身がカネと女にルーズであった。小説『人間革命』では戦前の借金をきれいに返済した主旨のことが書かれているが真っ赤な嘘である。身内からの借金は1円も返していない。時習学館時代にはあまりの放蕩ぶりに怒った女性従業員が戸田の頭をフライパンで殴ったことがある。その戸田から諭されたのだから単なる色恋沙汰でないことは明らかだろう。月刊ペン裁判では裸で仁王立ちとなった池田の前に、まだ女子学生だった渡部通子がひざまずいていたとの証言がある。尚、原島嵩〈はらしま・たかし〉が主張する池田の女性問題はほぼ全てがデマだ。彼が実際に目撃したのは池田のステテコの股間付近に口紅が付いていたことだけで、行為そのものを目撃したわけではない。

 それにしても弟子を「徘徊者」「始末屋」呼ばわりするのは尋常なことではない。私なんかでは推し量ることも無理だ。

 こうした歴史が事実であるか否かを検証するのは難しい。ただ近年の聖教新聞や『潮』における石田次男矢島周平批判は晩年に至った池田の不安を雄弁に物語っていると思う。