2013-05-18

日蓮大聖人御書全集 稲枝創価学会 Tommyのホームページ

日蓮大聖人御書全集 稲枝創価学会 Tommyのホームページ

富士山

 関係各位の努力の甲斐があって富士山の世界遺産登録が確実視されている。最後の一枚は富士山頂から見た風景。

Lighting by the evening sun(Mt.Fuji/富士山)

A Big Bird in the sky(Mt.Fuji/富士山)

An approaching cloud(Mt.Fuji/富士山)

Paper moon(Mt.Fuji/富士山)

Midnight Mt.Fuji

The beautiful evening in summer(Mt.fuji,富士山)

Mt.Fuji with parhilia

Mt.Fuji and reflection

Mt. Fuji (富士山)

富士山 (Top of Mt.Fuji)

Mt.Fuji North Panoramic

Tokyo Tower & Mt. Fuji

Mt. Fuji

Mt.Fuji before sunrise

Mt. FUJI / 富士山

Landmark Tower :: Mt Fuji at Dusk

*sunrise Mt.Fuji

意識のネットワーク化



2013-05-17

制度宗教は政治化を避けられない


 正確にいうともちろん「制度宗教=組織宗教」ではない。またキリスト教に対する無理解ゆえ、日本では宗教社会学用語にとどまっている現状がある。

2013-05-16

精神の習慣性を破るものが懐疑である

 懐疑は一つの所に止まるというのは間違っている。精神の習慣性を破るものが懐疑である。精神が習慣的になるということは精神のうちに自然が流れ込んでいることを意味している。懐疑は精神のオートマティズムを破るものとして既に自然に対する知性の勝利を現わしている。不確実なものが根源であり、確実なものは目的である。すべて確実なものは形成されたものであり、結果であって、端初(ママ)としての原理は不確実なものである。懐疑は根源への関係附けであり、独断は目的への関係附けである。理論家が懐疑的であるのに対して実践家は独断的であり、動機論者が懐疑家であるのに対して結果論者は独断家であるというのがつねであることは、これに依るのである。しかも独断も懐疑も共に方法であるべきことを理解しなければならぬ。

【『人生論ノート』三木清(創元社、1941年/新潮文庫、1954年)以下同】

 石はたとい百万遍同じ方向に同じ速度で投げられたにしてもそのために習慣を得ることがない。習慣は生命の内的な傾向に属している。

 40代でこれがわかれば人生の質が異なってゆく。

人生論ノート (新潮文庫)

真の懐疑は精神の成熟を示す
三木清

2013-05-15

機能不全家族

2013-05-14

瞑想は祈りと無縁


クリシュナムルティの瞑想録―自由への飛翔 (mind books)

瞑想とは思考の沈黙である

支配されたい願望

2013-05-13

創価大学について





 正解。その通りだ。我が妹分はどんどん威勢が加速している(笑)。

 創価大学の問題については折にふれて、それとなく書いてきた。

日本の悪弊を転換するところに創価大学の重要な使命がある
創価大学の失敗

「我が子を創価大学に入れるべきか?」という相談も随分と受けてきたが、数年前から「やめるべきだ」と答えている。

 本来であれば、しっかりと熟考し長文をしたためたいところであるが、思いつくままに問題点を書き残しておく。

 まず創価大学出身者でまともな人物を見たことがない。中には尊敬できる人もいる。力のある人もいる。私より結果を出している人も一人だけ存在した。

 しかしながら99%はおかしい。エリート主義と書いてしまえば陳腐になってしまう。根拠なき驕慢、正体不明の思い上がり、自分たちは特別であるという錯覚した自意識、そしてそこから発する腐臭。現役の創価大学生ですらそうなのだ。

 私の世代だと東京の下町で創大卒は完全にバカにされていた。「だから何?」って感じだ。実際、旧ブログにも書いたが、勤務先の婦人から「創価大学って、創価学会のエリートを育成しているんでしょ?」と尋ねられ、私は高笑いをし「そんなことはありませんよ。組織の現場では役に立たないのばっかりですから」と答えたことがあった。

 私が本格的に「あれ?」と思ったのは今から10年以上前にさかのぼる。「戸田第二代会長には妾(めかけ)がいた」と主張する人物と私がウェブ上で議論をしていた際に、「実はいたんですよ」と教えてきたのが創大出身者であった。役職は私よりもずっと下のメンバーであったように記憶している。

 彼らは特殊な情報にアクセスしていて、妙なところで事情通ぶる悪癖がある。そのくせ真っ向勝負で闘うことがない。

 八王子へ引っ越して本当に創価大学がおかしいことがわかった。創価大学はうつ病だらけだ。たぶん日本一だと思う。親の都合で受験させられたためだろう。私がかつて最も信頼した現役創大生の話では1/3くらいが精神的におかしいということだった。

 サークルなんぞに入ったらアウトだ。新一年生は先輩から「池田先生と自分の関係について述べよ」と命じられ、これが毎回毎回延々と3時間ほども続くというのだ。かつて中国共産党が米兵に対して行った洗脳そのものである。

 八王子はまた大学職員・創大出身者の天国でもあった。きちんとした指導もできないようなのばっかりだ。まるで東大法学部卒の官僚を見ているようであった。

 創価大学失敗の遠因は公明党結党にある。当時、「対外的なことも考えて、一見信心のないような人を衆議院選挙で推すことがあるかもしれない」という趣旨の会長指導があった。ここにおいて総体革命は信心から乖離(かいり)していったのである。広布第一章は折伏をした人が指導者になった。第二章においては雄弁な者が重用(ちょうよう)され、池田vs.阿部紛争以降は完全に調整型リーダー(=婦人部と波風を立てない)が登用されるに至った。

 ウェブ上で「創価大学出身」と謳っている連中は一種のプロパガンダ部隊と見てよかろう。

 致命的なのは創価大学に自浄作用が働かないことだ。私からすれば、親元を離れて上京した大学生が一人でもうつ病になれば大問題だ。ところが何十人、何百人のうつ病・統合失調症患者が出ても、内側から声を発し、反省する者が一人もいない。本当に一人もいないのだ。

 面倒くさくなってきたのでもうやめる(笑)。

 創価学会が本当に変わり得るとすれば、まず創価大学の内部で革命が起こる必要がある。それだけは確かだ。

嫌な臭い

2013-05-12

読み始める

地獄の一三三六日 ポル・ポト政権下での真実

万物の死―自然の死から〈死〉を考える (ブルーバックス (B-1165)) 心は孤独な数学者 (新潮文庫) カブールの燕たち (ハヤカワepi ブック・プラネット) ロードサイド・クロス

日本と中国が「互いに殺し合う」ように仕掛けている謀略国家


今は「平和を説くべき時ではない」