2013-05-11

「新・三本の矢」に狙われる公明党

「新・三本の矢」に狙われる公明党(1/2) (文藝春秋) - Yahoo!ニュース
「新・三本の矢」に狙われる公明党(2/2) (文藝春秋) - Yahoo!ニュース

 この記事はたぶん期間限定公開だと思う。

支配の手口

2013-05-10

熊楠マンダラ


http://p.twipple.jp/FsPw6


熊楠マンダラと脳内ネットワーク:山本眞人

南方熊楠コレクション〈第1巻〉南方マンダラ (河出文庫)

南方熊楠の曼荼羅論 社会学者・鶴見和子
時代が彼にあこがれる 知の巨人・南方熊楠

安倍総理 いよいよ決断か 昭和61年以来の衆参ダブル選挙へ

2013-05-09

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量子が変える情報の宇宙 密教成立論 阿含経典と密教

呪術~フレイザーの理論

 人類学者サー・ジェームズ・ジョージ・フレイザーは、『金枝篇』において、文化進化主義の観点から、呪術と宗教を切り分け、呪術には行為と結果の因果関係や観念の合理的体系が存在し、呪術を宗教ではなく科学の前段階として捉えた。

 フレイザーは、呪術を「類感呪術(または模倣呪術)」と「感染呪術」に大別した。

類感呪術(模倣呪術、英: imitative magic)
  類似の原理に基づく呪術である。求める結果を模倣する行為により目的を達成しようとする呪術などがこれに含まれる。雨乞いのために水をまいたり、太鼓を叩くなどして、自然現象を模倣する形式をとる。

感染呪術(英: contagious magic)
  接触の原理に基づく呪術である。狩の獲物の足跡に槍を突き刺すと、その影響が獲物に及んで逃げ足が鈍るとするような行為や、日本での藁人形に釘を打ち込む呪術などがこれに含まれる。感染呪術には、類感呪術を含んだものも存在するとフレイザーは述べている。呪術を行使したい対象が接触していた物や、爪・髪の毛など身体の一部だった物に対し、類感呪術を施すような場合などである。

 フレイザーは進化主義的な解釈を行い、宗教は劣った呪術から進歩したものであるという解釈を行ったが、エミール・デュルケームはこれを批判的に継承し、本来集団的な現象である宗教的現象が個人において現れる場合、呪術という形で現れることを指摘した。さらにマリノフフスキは、機能主義的な立場から呪術や宗教が安心感をもたらしているいうことを指摘し、また動機という点から人に禍をもたらすそうとする呪術を「黒呪術 / black magic」といい、雨乞いや病気回復など公共の利益をもたらそうとする呪術を「白呪術 / white magic」とした。しかし超自然的なものである呪術だとしても、意図的なものと非意図的なものがあるとして、エヴァンズ=プリチャードは前者を邪術、後者を妖術として区別する必要性を主張した。

・ビーティ(J.Beattie)は、呪術を象徴的な願望の表現とした。

レヴィ=ストロースによる指摘

 レヴィ=ストロースは、思考様式の比較という観点から、呪術をひとつの思考様式としてみなした。科学のような学術的・明確な概念によって対象を分析するような思考方式に対して、そのような条件が揃っていない環境では、思考する人は、とりあえず知っている記号・言葉・シンボルを組み立ててゆき、ものごとの理解を探るものであり、そのように探らざるを得ない、とした。そして、仮に前者(科学的な思考)を「栽培種の思考」と呼ぶとすれば、後者は「野生の思考」と呼ぶことができる、とした。

「野生の思考」は、素人が「あり合わせの材料でする工作」(ブリコラージュ)のようなものであり、このような思考方式は、いわゆる"未開社会"だけに見られるものでもなく、現代の先進国でも日常的にはそのような思考方法を採っていることを指摘し、それまでの自文化中心主義的な説明を根底から批判した。

Wikipedia

 病気平癒は呪術であり、ホワイトマジックである。

初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)初版金枝篇(下)   ちくま学芸文庫 フ 18-2野生の思考レヴィ=ストロース入門 (ちくま新書)

創価学会破折 52年路線

創価学会破折 52年路線

 資料としてよくまとまっている。「法蔵」というサイトのページ。

2013-05-08

世界を言語化する


 ブラックホールは理論が先に生まれ、その後実際に観測された。アインシュタインの相対性理論も同様であった。

2013-05-07

創価教学研究室(赤鬼のブログ)

創価教学研究室(赤鬼のブログ)

「96条改正」もがく公明 憲法記念日アピールも急遽差し替え

 憲法改正の発議要件を緩和するための96条の先行改正をめぐり、公明党幹部が神経をとがらせている。今夏の参院選と、公明党が国政選挙並みに力を入れる東京都議選(6月23日投開票)に向けて明確に反対を打ち出したいが、自民党との連立に悪影響を及ぼす事態は避けたいところ。大型連休中は公明党支持者が知人を訪ねて選挙協力を頼む“交流期間”だけに、安倍晋三首相の理解を求め、水面下で政府高官に接触を図る動きもある。(力武崇樹、佐々木美恵)

 4月30日午前10時過ぎ。党所属国会議員あてに「憲法記念日アピール」の文書が添付された一斉メールが届いた。文書は従来の「加憲」の立場を表明。「憲法は不磨の大典ではなく、憲法条文のどこをどう変えるのがふさわしいかの全体観に立った論議が必要不可欠だ」などと書かれていた。

 ところが、6時間余り後の午後4時半過ぎに突然、文書の「差し替え」を知らせるメールが届いた。

「憲法は不磨の大典ではなく、改正要件の『3分の2』も含め憲法条文のどこを」と、改正発議の要件を定めた96条が強調されていた。党幹部は「差し替えは北側(一雄副代表)さんが命じた」と打ち明ける。

 公明党は96条改正には慎重だ。支持母体の創価学会関係者の間には「96条改正は9条改正に結びつく」との不安が根強い。にもかかわらず、北側氏がわざわざアピール文を差し替えたのは「絶対反対の野党とは違い、議論の余地がある」(党幹部)という姿勢を首相や自民党に示すためだ。

 山口那津男代表も27日、「中身によって固く守るべきものと、柔らかくしていいものとがあるかもしれない」と発言。96条改正の後、改正手続きを進められる条文を限定するなどの案にも言及し「(96条改正は)議論が熟していない」との牽制(けんせい)一辺倒から転換した。同時に、党幹部らは政府高官に水面下で接触し「首相サイドに理解を求めている」(党幹部)という。

 参院選前に公明党と対立したくないのは、参院での多数与党を実現し、国会の「ねじれ」解消をめざす首相も同じ。首相は5月1日、訪問先のサウジアラビアで「(96条改正に)慎重な意見も承知しており、誠意を持って議論を進めたい」と一定の配慮を見せた。ただ、両党の憲法をめぐるスタンスは明らかに異なっており、当面の「休戦」は根本的な解決とはほど遠いのが実情だ。

MSN産経ニュース 2013-05-03

みなもと太郎作『教学博士』

呉●ほかにも仏教を宗派の側から描いたマンガはあるけど、やはり創価学会系の第三文明社からいくつか出ていて、なかでもみなもと太郎の『教学博士』っていうのが名著なのね。仏教がものすごくよくわかる。

宮崎●『教学博士』は聖教新聞社の聖教コミックスですね。『仏法おじさん』とかもあった(笑)。第三文明社からはDBコミックス『豊くんの仏法セミナー』シリーズとして『天魔3000年!』『修羅の正体!!』『人類み~んな「十界論」』の3巻が出ています。まあ内容は言わずもがな……ですが。

呉●『教学博士』は最後のところがやっぱり宗教としての飛躍だなと感じたけど、大まかな解説としてひじょうにわかりやすい。ただ、今では創価学会としては表に出したくないらしい。

宮崎●え、どうしてですか?

呉●日蓮正宗原理主義的で、昨今の創価学会との乖離(かいり)が出たかららしいね。

宮崎●みなもと氏のような大家でもそういう軋轢(あつれき)が生じ得るのですね。部外者にはどこに乖離が生じているのか検出できないけど。

呉●私もそう思うんだがね。

【『知的唯仏論』宮崎哲弥、呉智英〈くれ・ともふさ〉(サンガ、2012年)】

 マンガに造詣が深い二人であることは知っていたが、「どんだけ読んでいるんだよ!」ってなレベルだわな。


『教学博士』は私も愛読した。小学生から中学生にかけて100回以上読んでいる。

 二人が絶賛している『祝福王』の作者たかもちげんが創価学会員であるとは知らなかった。わたしゃ、リアルタイムの連載で読んでいたんだよね。

 それにしても宮崎の知識は豊富だ。宗教界で彼に伍することのできる人物が果たして何人いることやら。

知的唯仏論 さみしさサヨナラ会議 宮崎哲弥 仏教教理問答 つぎはぎ仏教入門

宮崎哲弥

長嶋さん、12年ぶり“万感”スピーチ

SANSPO.COM(サンスポ)

 ・盟友・王さん「感無量」長嶋さんに花束、耳元で祝福:巨人:スポーツ報知

2013-05-06

汚水

2013-05-05

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人類の宗教の歴史 9大潮流の誕生・本質・将来 呪術・占いのすべて―「歴史に伏流する闇の系譜」を探究する! (知の探究シリーズ) 強欲の宗教史

儀礼 タブー・呪術・聖なるもの

知的唯仏論 退屈 息もつかせぬその歴史 5分でたのしむ数学50話 フィボナッチ―自然の中にかくれた数を見つけた人

ゼロは無であり無限でもある




異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

ゼロに関する覚え書き

みんな無責任であった

 私たちは、いくつかの事実的な書物を読んで、日本が侵略戦争に突入し、泥沼にはまっていった跡をたどっていくと、みんながみんな「無責任」であったという残念な感慨がわきおこってくる。戦争先導者はいうに値しない。しかし周囲のみんながあと少し足をふんばっていたらどうなっていただろうと思う。みんな無責任であった。それに対しては「あのときは仕方なかった。ほかにしようがなかった」という声がこぞってきこえてくる。みんながみんなそうであった。現代の歴史学者のなかにも、時代の判断としてはやむをえぬところがあったと発言するひとたちがいるようである。

 しかし「やむをえないこと」にしたのはみんなである。

「やむをえない時代」のなかでも、あきらめてしまわず、人知れず行動を起こした人たちはいた。いいことはいいが、やはりいけないことはいけないのである。それは「やむをえない」とわりきれることではない。わりきっていいことではない。それは明らかなことである。いけないことはいけないと貫くべきなのである。それは私たちが果たすべき社会と歴史に対する責任である。

真理・正義・平和 - 承前

 記事タイトルが「承前」となっているのは、「志賀直哉と三木清」の続きという意味。

マルティン・ニーメラーが生まれた日