2013-05-04

戸田城聖「私は宗教団体の王様なのであり、岸先生は政治団体の王様なのです」

宗教界の王者 - 思索の海辺

 検索中にヒットした那由他楽人君のページ。更新が遅いため最近は滅多に見ることがない。

 これに関しては音源が残っていて、『戸田城聖全集』の記述が正確である。また挨拶の冒頭では足が不自由になったことを自ら述べ、「中足はとっくに立たん」というギャグをかました。

戸田城聖氏の法華経解釈と「依義判文」の誤用

戸田城聖氏の法華経解釈と「依義判文」の誤用

 で、記事には『「依義判文」の誤用』が書かれていない。

戸田城聖氏は法華経を「依義判文」し、「依文判義」わからず

 参考までに紹介しておく。一見すると文章はまともに思えるが、内容が支離滅裂で説得力を欠いている。

「日蓮正宗方便品寿量品精解」(創価学会会長 戸田城聖 講述 創価学会教学部教授 多田省吾 編集 東京 精文館発行 昭和33年2月8日印刷 昭和33年2月11日 発行)――ここだけに注目した次第。

戸田城聖の誤れる仕掛け 『獄中の悟り』引き継ぐ創価学会の生命論 - 飛田正夫

小野寺直著『世界を救う一閻浮提の大本尊立つ・日蓮法華経の正統解釈』

本門正宗とは

 私が読んだのは「日目上人正嫡の由緒と本因妙大本尊の発見」でリンクは56になる。著者は日目の末裔(まつえい)に当たる人物。ということは新田小野寺氏なのだろう。

新・小野寺盛衰記 新田小野寺氏

 尚、本因妙大本尊のマンダラ画像は以下にある。

gooブログ

 記事に登場する矢島秀覚は矢島周平の子息。創価学会側の評価は以下の通り。

第15回 青春の埼玉 - Winsdom

 小野寺が記す『日目上人御正伝』と阿部日顕監修『日興上人・日目上人正伝』が同じものかどうかは不明。

正統天皇と日蓮―ついに明かされる王仏冥合の真実

2013-05-03

目に付いた記事~池田大作の発言

Life is a Stage

ジャズと仏法、そして人生を語る

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2013-05-02

私は創価学会を変えた




 わかりやすいように時系列を逆にした。この感性は侮れない。「組織を変える」「自分が変わる」という発想は珍しくないが、そこからも離れて一挙に視点をマイナスに転じてみせたところが凄い。学会2世、3世には見られない発想だ。多少そそっかしいところはあるものの、彼女から学ぶことは多い。

2013-05-01

遺恨 十年 一剣を磨き



 遺恨とは捻(ねじ)れた怒りの異名である。怒りは「頭に来る」が遺恨は「肚に溜まる」。恨みを晴らすという言葉が示すのは「曇った心」だ。政党、企業、教団、学校が争いに明け暮れている。そして敗れた大多数の者たちが遺恨を抱く。恨みは怒りを自己正当化する。終わることなき争いの輪こそ六道そのものであろう。

「人間が生きる」ということは、「好きなものを得るために行動する」「得られないものや邪魔するものはぜんぶ壊す」のいずれかです。我々の日常生活は、この二つのエネルギーに支配されているのです。

【『心は病気 役立つ初期仏教法話2』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2006年)】

心は病気―役立つ初期仏教法話〈2〉 (サンガ新書)

2013-04-30

情報


 クロード・シャノンが道を開いた情報理論では意味を完全に無視する。問われるのはエントロピー(情報量)と圧縮度のみ。

2013-04-29

言語ネットワークが築く縁起の世界


 3年前のやり取りゆえ、私はまだまだ勉強不足であった。最近になってようやく少しまとまり始めたところである。科学的知識を欠いた宗教哲学は文学にすぎないことを知るべきだ。苫米地英人〈とまべち・ひでと〉を軽々と凌駕する若き宗教研究者が必要だ。

人間は不完全な情報システムである/『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
生命とは情報空間と物理空間の両方にまたがっている存在/『苫米地英人、宇宙を語る』苫米地英人

2013-04-28

創価学会・池田名誉会長の教えに背き悪魔に魂を売った公明党の迷走

藤本順一が「政治を読み解く」

 びゅうろう君のリツイートで知った次第。良心的である分、甘い記事と言わざるを得ない。そもそも「公明党の意志」なるものの存在を疑う必要がある。創価学会の下部組織である以上、公明党の判断は創価学会本部の判断と見てよい。それをあたかも公明党が独立しているようにカモフラージュすることで、学会員からの矛先をかわそうとする狙いがあるように思える。

日蓮がマンダラ&マントラを勧めたのは印刷技術がなかったため










日蓮とマントラ

 私の閃(ひらめ)きが見当違いでなければ、19世紀に新しい宗教が台頭してしかるべきであった。該当する人物は二人いる。アルベルト・アインシュタイン(1879年3月14日-1955年4月18日)とジッドゥ・クリシュナムルティ(1895年5月12日-1986年2月17日)だ。人類の心を結ぶのが宗教であるとすれば、20世紀の宗教は「科学」であるといってよかろう。

 言葉は文字によって永続性を獲得した。ここから「思考」が立ち上がってきたのだろう。歴史上の思索者は書字から生まれたといっても過言ではない。その意味で人類の歴史は文字以前と文字以後に大きく分けることができよう。とすると文明論では印刷以前と印刷以後となるのは明らかだ。文字がなければ人間の考えは条件反射の範囲に収まる。

 更に参考書籍を2冊挙げておく。

宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰 インフォメーション: 情報技術の人類史

宗教とは何か