2012-11-17

「瞋恚(しんに)は善悪に通ずる」のか?

 下書きのまま放置してあったのだが推敲する時間がないためアップする。

 日蓮遺文の「当(まさ)に知るべし瞋恚(しんに)は善悪に通ずる者なり」(「諌暁八幡抄」真蹟曽存)に関する覚え書き。

 始めにいくつか確認を。

『諫暁八幡抄』の御真蹟は、全体の約3分の1(前半部分)が身延の大火で焼けて、全体の約3分の2(後半部分)が、現在、大石寺に保管されています。

メールマガジン「日蓮大聖人の御書を拝して」今泉寬眞

【検証】諫暁八幡抄に切り貼りされた竜門御書の日蓮花押
続き

 そういえば、最も身近な『蓮師真蹟に後加された異筆』は、石山の「諫暁八幡抄」でしたね。(独学徒)

冨士教学研究会談議所

 私には「後加された異筆」であるかどうかがわからないため、一応真蹟曽存としておく。本文では直後にこう続く。

 只不軽のごとく大難には値ふとも、流布せん事疑ひなかるべきに、真言・禅念仏者等の讒奏に依て無智の国主等流難をなす。此れを対治すべき氏神八幡大菩薩、彼等の大科を治せざるゆへに、日蓮の氏神を諌暁するは道理に背くべしや。尼倶律陀長者が樹神をいさむるに異ならず。

 つまり日蓮の「瞋恚(しんに、しんい)」=怒りは法華経の行者を守護せぬ八幡大菩薩に向けられたものであることが明らかだ。注目すべきは不軽菩薩を引用していることで、ここから「怒り」の感情を正当化したものではないことが読み取れる。

 ところが、である。創価学会では池田vs.阿部紛争以降この切り文を引っ張りだして日蓮正宗を口汚く罵り続けた。機関紙である聖教新聞には紙上座談会なるプロパガンダ記事が連載され、怒りの矛先(ほこさき)は公明党元委員長の竹入義勝氏や矢野絢也氏にまで向けられた。

聖教新聞社殿御返事善無畏三蔵抄

 特に次期会長と目される谷川佳樹氏の発言は致命的だと思われる。

 私も含めて殆どの創価学会員は気づかなかったわけだが、結局こうした言論活動を通して創価学会は暴力を容認したものと考えてよい。そもそも意図的に差別用語を盛り込んでまで相手を罵詈讒謗(ばりざんぼう)することが宗教性であるはずがない。

 何度でも書くが「教義は解釈されるもの」だ。情報は受け手によって歪められる。知覚ですらそうなのだ。そして教団は自分たちに都合のよい解釈を施して信者に与える。そう。一種のエサみたいなもんだ。

 瞋恚(しんに)が善悪に通ずる、というのはもちろん仏法ではない。当たり前だ、そんなことは。三木清だって同じようなことを言っている。

 今日、愛については誰も語っている。誰が怒について真剣に語ろうとするのであるか。怒の意味を忘れてただ愛についてのみ語るということは今日の人間が無性格であるということのしるしである。
 切に義人を思う。義人とは何か、── 怒ることを知れるものである。

【『人生論ノート』三木清(創元社、1941年/新潮文庫、1954年)】

 哲学レベルでさえ、「他者を攻撃せよ」「敵を罵れ」とはいっていない。ただし執着の強い連中であれば、日蓮遺文の「責める」という語句を持ち出して怒りを正当化することは可能だろう。ま、勝手にしろ。

 ブッダは怒りを否定した。筍子〈じゅんし〉ですら否定している。

 快快にして亡ぶは怒ればなり。察察にして殘(そこな)うは忮(さから・逆)えばなり。(筍子)

諸子百家争鳴

 スッタニパータは「蛇」の章から始まる。冒頭はこうだ。

1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

 怒りを「蛇の毒」に喩(たと)えている。既に毒が回った連中からすれば信じ難いことだろう。日蓮正宗信徒を罵倒する創価学会員は多分こんな表情をしている(逆もまた同様)。

is

 上は道行くパレスチナ人女性を悪罵(あくば)するイスラエルの学生で、下はエリザベス・エックフォードを罵ったヘイゼル・ブライアントの写真である。当時15歳。アメリカで黒人の登校が許された初日に、エリザベス・エックフォードは帰宅せざるを得なくなった。周りにいるのは通行人ではない。彼女を追い回す白人どもだ。

 旧ブログでパレスチナの画像を紹介したところ、「残虐すぎる」という声が寄せられた。自分たちの暴力性に鈍感な連中が叫ぶ正義ほど信用ならないものもあるまい。

 尚、ブッダが説いた怒りについてはアルボムッレ・スマナサーラが軽妙な語り口でわかりやすく説いている。これを読んでも目が覚めない連中は、一生毒に酔ってもらうしかない。

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)怒らないこと 2―役立つ初期仏教法話〈11〉 (サンガ新書)

比企大学三郎能本

比企能本〈ひき・よしもと〉
比企能員〈ひき・よしかず〉
比企氏
源頼家を中心とした 人物関連図
比企一族系図
武蔵の比企氏の系譜
比企能員の変
妙本寺
鎌倉:妙本寺の開基・比企能本
鎌倉寺社巡り その3 妙本寺
妙本寺訪問記
たたり神について
大学三郎御書(日蓮筆)
比企一族

 ・比企尼(ひきのあま)

安冨歩著『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』を推す





 あらゆる集団・組織が安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉を必要としている。

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―

「東大話法」に騙されるな
岡真理
友岡雅弥

2012-11-16

恐怖こそが祈りの原動力かもしれない




2012-11-15

人は良心の呵責なく罪なき人を殺すことができる

「ある文化の中で、服従することが神聖なことだと考えられるようになれば、人は良心の呵責なく罪なき人を殺すことができる」

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明訳(晋遊舎、2006年)】

ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

2012-11-14

座談会・小沢裁判とは何だったのか 摘まれた首相の芽

毎日新聞 2012年11月14日 東京夕刊

カルトの見分け方

カルトを見分けるのに分かりやすい特徴を箇条書きにするなら、以下のような点を挙げることができるでしょう。これらをチェックしていけば、その宗教がどれほどカルト性を持っているかを知ることができます。必ずしもカルトが以下のすべての特徴を有しているわけではありませんが、その大部分が当てはまるなら、カルトと考えて差し支えないと思います。

1.真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する
2.組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない
3.自分の頭で考えることをしないように指導する
4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ
5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い
6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える
7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある
8.組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる
9.家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている
10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする
11.外部に対して正体を隠す傾向がある
12.生活が細部にわたって規定される
13.組織が信者の生活のすべてになっている
14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている
15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える

総論:カルトに関する基本的理解

カルト教団から家族や親友を守る法 マインドコントロールの解き方

2012-11-13

陸山会事件がなければ小沢一郎が総理大臣になっていた



スピリチュアルとは

 スピリチュアルとは「間違っていても信じたい」と思うことです。それに対して科学とは、徹底的な吟味をし、自分で打ち立てた考えを自ら批判し懐疑するものだということです。すなわち、「自分の考えはひょっとして間違っているのではないか?」と疑う。つまり、「自分は絶対に正しい」とか「これで安心」といった思考停止をしないということなのです。

【『スピリチュアリズム』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(にんげん出版、2007年)】

スピリチュアリズム

『スピリチュアリズム』苫米地英人
スピリチュアル系創価学会員に告ぐ

2012-11-12

野田首相、年内解散の意向固めた

共同通信

ああ、それこそが数学なのだ

いや、嘘だ。その話は正確ではない。もう少し正確に言うなら、「この担任が理解できようが理解できまいが、数学的に見て正しいものは正しい」と私はある日、気づいたからだ。その担任の鼻を明かし、私自身の矮小なる自尊心を満たしたところで仕方がないのだと気づいたからだ。

そのことに気づけたことは、私にとってまさに僥倖であった。ああ、それこそが数学なのだと思った。

やねうらお-よっちゃんイカを食べながら、息子語録を書き綴る

2012-11-11

マルクス主義とカルヴァン主義

 マルクス社会主義は、知的にも理念的にも、またその歴史的な役割においても、著しくカルヴァン主義に似ていた。

【『ドラッカー名著集 9 「経済人」の終わり』P・F・ドラッカー:上田惇生〈うえだ・あつお〉訳(ダイヤモンド社、2007年/岩根忠訳、東洋経済新報社、1958年)】

ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり

ドラッカー