2012-11-10

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自分を変える気づきの瞑想法【増補改訂版】 苦しみをなくすこと―役立つ初期仏教法話〈3〉 (サンガ新書) 悟りの階梯―テーラワーダ仏教が明かす悟りの構造 (サンガ新書)

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語― 解錠師〔ハヤカワ・ミステリ1854〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ) 電卓で遊ぶ数学―これぞ究極の電卓使用術 (ブルーバックス)

あらゆる伝道師の心の奥深くには…

2012-11-09

人はすべての信念を疑うべきである

 人は当然ながらすべての信念を疑うべきである。なぜなら精神は、とりわけ信念によって自分自身を欺く傾向があるからである。

【『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ:大野純一訳(めるくまーる、1993年)】

気づきの探究―クリシュナムルティとともに考える

精神は信念によって自分自身を欺く傾向がある
ススナガ・ウェーラペルマ

2012-11-07

ジョン・デューイは国家による組織的宣伝の推進者だった

◆組織的宣伝の初期の歴史

 まず、近代政府による最初の組織的な宣伝活動から始める。
 それはウッドロー・ウィルソンの政権下で行われた。
 1916年に、ウッドロー・ウィルソンは「勝利なき平和」を綱領に掲げて大統領に再選された。第一次世界大戦のさなかのことである。世論は平和主義一色で、ヨーロッパの戦争にアメリカがかかわるいわれはないとされていた。
 しかし実際には、ウィルソン政権は戦争に関与していったので、何らかの措置を講じる必要が生じた。政府主導の宣伝委員会――いわゆる「クリール委員会」――が設立され、半年足らずでみごとに平和主義の世論をヒステリックな戦争賛成論に転換させた。
 戦争熱に浮かされた人びとは、ドイツのものをことごとく破壊してやりたい、ドイツ人を八つ裂きにしたい、戦争に参加して世界を救いたいと考えるようになった。ウィルソン政権によるこの作戦は大成功であり、さらには別の成果にもつながった。
 戦中から戦後に、ヒステリックな「赤狩り」をあおるのにも同じ手法が使われ、組合をつぶし、報道の自由や政治思想の自由といった危険な問題を排除することにも首尾よく成功したのである。これにはメディアと財界からの非常に強力な支援があった。さらに言えば、メディアと財界はこの作戦のほとんどを組織し、推進したのであり、それは総じて大成功をおさめた。
 ウィルソンの参戦の意向を積極的かつ熱狂的に指示した人びとの一部は、ジョン・デューイを中心とする進歩的な知識人だった。デューイをはじめとする人びとがそのころに書いた文章を読めばわかるとおり、彼らは自分たちのような「社会の知識階層」が、躊躇する一般の人びとを鼓舞して、戦争にかりたてることができたことをたいへん誇りにしていた。実際には、人びとを怯えさせ、狂気じみた好戦的愛国精神を引きだしただけなのだが。
 このときに使われた手口は半端なものではなかった。たとえば、ありもしないドイツ兵の残虐行為がいくつもでっちあげられた。両腕をもぎとられたベルギー人の赤ん坊など、ありとあらゆる暴虐の結果が、いまでも歴史の本に載せられているぐらいだ。その大半は、イギリスの宣伝省によって捏造(ねつぞう)されたものだった。彼らの目的は、当時の極秘審議録に書かれているように、「世論の動向を操作する」ことにほかならなかった。
 だが、それよりも肝心なのは、彼らがアメリカ社会の知識階層の考えを操作しようとしたことだ。そうすれば、その連中がイギリスによってでっちあげられた宣伝を広め、平和主義の国を好戦的なヒステリー集団に変えてくれる。
 その思惑は当たった。みごとに当たった。そして、これが一つの教訓となったのである。国家による組織的宣伝は、それが教育ある人びとに支持されて、反論し難くなったら、非常に大きな効果を生む。この教訓は、のちにヒトラーをはじめとして多くの者が学び、今日にいたるまで踏襲されている。

【『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー:鈴木主税〈すずき・ちから〉訳(集英社新書、2003年)】

メディア・コントロール ―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)

ノーム・チョムスキー

2012-11-05

宮沢賢治と斎藤秀雄

 花巻に帰った賢治からは後日、自費出版した『春と修羅』と『注文の多い料理店』とが送られてきた。1933年(昭和8年)に37歳で没する賢治が生前に出版した著書はこの2冊だけである。

【『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉(新潮社、1996年/新潮文庫、2002年)以下同】

 賢治はチェロを習うためだけに、新響の練習所に来たのだろうか。オーケストラの練習も貪欲に見学したのではないだろうか。もし、そのとき賢治が斎藤の姿を見ていれば、『セロ弾きのゴーシュ』に描かれた楽長のモデルが斎藤である可能性も出てくる。

 オーケストラでヴァイオリンを弾いてきた川原日出はこう語る。 「『セロ弾きのゴーシュ』を読んだとき、楽長のモデルは斎藤さんだと思いました。彼の指揮ぶりを見ていたら誰だって絶対にそう思う。日本人の指揮者でああいう人は彼以外にはいないんです」  賢治は『セロ弾きのゴーシュ』には愛着を示して推敲を重ね、最終稿を仕上げたのは没する年の病床でであった。

 何と斎藤秀雄と宮沢賢治には接点があった。人と人とのつながりが描く稜線の不思議さに心が震える。

嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 (新潮文庫)
(※左が単行本、右が文庫本)
斎藤秀雄
宮沢賢治

2012-11-04

自己肯定感が低いと、「べき思考」の世界で生きることになる





 いやあ、すっかりシラユリくんのファンになってしまった。フォローはしていないけど、毎日見ている。